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2018年10月6日の土曜日の今日のお昼ごろに
戦前の1935年から83年の永きに渡って、営業を
続けてきた東京築地卸売中央市場が閉鎖され、
4日後の11日の木曜日から新たに豊洲市場にて
開場オープンとなる運び。
【 当記事ページの目次 】
別記事でも軽く触れたが、83年間も慣れ親しんできた
築地中央卸売市場( 東京都中央区築地5丁目2−1 )から
豊洲中央卸売市場( 東京都江東区豊洲6丁目6−2水産棟 )
へ移転せざるを得なくなった理由は、主に3つ有る。
なにしろ本日、最終の競りが行われた
東京、築地市場が作られたのは戦前の昭和10年
なので、当時の鉄道輸送を主とした交通事情とは
まるで異なるが、その他にも豊洲に移転せざるを
得ない3つの大きな理由は以下に一蘭で表示する。↓
以上の3点、「 老朽化 」「 手狭 」「 屋外での作業 」
の問題が、豊洲市場への移転の理由となる。
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今は手狭になった築地市場の敷地内面積は、
23ヘクタールで6万9,575坪の広さが有るが、
戦前の昭和10年、1935年と今の物流事情は
まるで異なる。
また、当然では有るが水産物の水揚げ量も
開業当初に比べると、遥かに大量で当時と同じ
23万平方メートルの手狭な場内では十分な
作業スペースが確保出来ない問題が挙げられる。
1年当たりの取扱数量及び取扱金額( 平成27年実績 )は、
水産物では43万6,274トン、4401億4千5百万円、
青果物( 鳥卵・つけ物含む )では27万1,657トン、889億
5千6百万円となっている。1日当たりの取扱数量及び取扱金額( 平成27年実績 )は、
水産物では 1,628トン、16億4千2百万円、
青果物( 鳥卵・つけ物含む )では1,021トン、
3億3千4百万円となっている。
上記引用の数字は2015年度の実績なので
3年前のデータだが、ピーク時だったバブル期1987年の
取扱量、年間81万トン( 水産物 )からは半減した。
2006年時には57万2,617トン( 水産物 )だったが
それでも、開業当初に比べれば雲泥の差だろう。
一方、移転先の豊洲市場の敷地総面積は
40万7,000平方メートルと、手狭となった
築地市場の、約1.77倍の広さを有する。
無論、豊洲市場は築地に比べて市場内の
規模が広くなっただけでない。
次章で述べる建物の老朽化の問題も、
豊洲市場の建物は、新しいので地盤が下がった
とされる問題も指摘されるが基本は解決ずみだ。
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1935年の開場から83年が経過した築地中央市場の
施設の建物は、一部が老朽化で崩れ落ちるなど
危険性が指摘されてきた。
無論、すべての建物が1935年に建てられた
訳では無いが、流石に耐用年数には限界が
来ていたのでは、なかろうか。
当初、築地中央市場内で営業を続けながら
施設の建物を建て替える案も検討されたが、
コスト面や手間を考えると、別の場所に
新たに施設を建ててしまった方が賢明だ。
築地市場、今日で最後か。ガンフェスの前日に一人で行ったなぁ🤔老朽化のせいか正直言って汚い、狭かった😥でも、味はどれも美味🤤 pic.twitter.com/83xySYOfME
— もちやん (@1keyj) 2018年10月6日
実は築地市場には、仕事でトラックで近くを通った時に
実際に中に入った事があるのだが施設の建物が
どのような形をしていたかなんて覚えていない。
しかし、実際の問題として屋外開放型の施設は
吹きさらしの建物が多く、生鮮食品を屋外に
置きっぱなしにして作業をしているとのことから、
衛生管理面の品質が以前から指摘されていた。
外に置きっぱなしにして、長時間放置すると
風雨の影響も受けるので、食品の鮮度は低下する。
これらの点も踏まえ、豊洲市場は
密閉型の施設での営業では衛生管理面と
品質を徹底する姿勢を打ち出している。↓
卸・仲卸売場、搬出入バースは、外部からの風雨、
塵埃、直射日光等を防ぐことができる施設とする。取扱品目毎に最適な温度帯での流通を確保するため、
卸・仲卸売場、搬出入バース等は、
品目毎の温度特性に応じた温度管理を行う。
ちなみに衛生管理面というと、築地市場では
ネズミの駆除に対して東京都は3,500万円もの
対策費を講じたと定例会見で話していたが、
都が実施した駆除では実に1,653匹の
ネズミを捕まえたとの報告がある。
豊洲移転後も、場内のネズミが周辺の街に
逃げ出さないように対処はしているのだという。
上の豊洲市場のGoogleストリート・ビューは
まだ建設中のため、鉄骨がむき出しになっているが
建物が完成すれば、完全な箱モノになる。
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なんだかんだ言っても、開業当時から実に83年もの
年月が経っている築地市場は、豊洲市場でなくても
どこかへ移転せざるを得ない運命ではあった。
豊洲移転の構想が持ち上がったのは1988年だから
実現までに30年もの歳月が掛かったことになる。
途中、土壌汚染問題や盛り土が為されていない
などの問題が発覚し、小池百合子都知事【 66 】が
何度も再検査し、工事の延期を行ってきた。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/tsukiji-transfer/”]
結果としては、紆余曲折を経ながらも「 安全性 」
が保たれた事は事実だったのではなかろうか。
老朽化した築地市場内の建物が崩落して、
けが人や犠牲者が出てからでは遅いし、
不衛生な環境下では食の安全も守られない。
また狭い築地市場の場内では、縦横無尽に
行き来する物流トラックも事故を起こしかねない。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/toyosu/”]
豊洲市場に移動して安全性が守られたばかりではなく
作業スペースが広がったことで仕事もしやすくなる。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/toyosu-map/”]
とはいえ、築地では使えていた2.5トンクラスの
フォークリフト【 荷物を運搬する爪の付いた乗り物 】
が豊洲市場では1.5トンクラスのものまでした使えなく
なったとの報道も見受けられるが、今の段階では
まだ移転後の環境が快適なのか否かは分からない。
繰り返すが、築地から豊洲への三大移転理由は
「 施設の老朽化・敷地面積の狭さ・食品の衛生管理面 」だ。
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