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2019年、平成31年の4月1日に菅義偉官房長官
【 70 】が発表したとおり、新元号は「 令和 」に
決まったが、元は万葉集の第五巻は観梅の宴で詠まれた
梅花( うめのはな )の歌三十二首并せて序( 文 )だ。
万葉集の作者は、大伴宿禰旅人( おおともの すくねたびと )
【 享年67 】氏で、公家で歌人の最終官位は大納言従2位である。
では公卿で歌人だった、大伴宿禰旅人氏は誰で
どの様な人物像だったのか、顔画像と共に
あなたに詳しく、お伝えしてまいる所存。
【 本稿の記事ページの目次 】
日本最古の歌集だと言われる万葉集の第五巻、
観梅の宴で詠まれた、梅花の宴の歌三十二首并せて
序( 文 )の作者、大伴宿禰旅人氏とは誰か?
大伴旅人氏は「 多比等 」とも言い、
朝廷に仕える貴族および上級官人である、
公家の中でも高官である「 公卿 」であった。
飛鳥時代から奈良時代にかけての公卿・歌人。
名は多比等とも記される。
大納言・大伴安麻呂の長男。
官位は従二位・大納言。
つまり大伴旅人氏は、かなり身分の高い歌人であり
父親の大伴安麻呂大納言も、公卿で歌人であった。
また、母親の大伴坂上郎女氏も万葉集の
代表的な歌人であったので、まさに歌人一家に
生まれた大伴旅人氏が歌人となるのは自然な
流れであったに違いない。
親の七光りかどうかは分からないが、
順調に出世していった、大伴旅人氏の経歴と
顔画像を次章にて詳しく解説して参りたい。
では、さっそく新元号「 令和 」の作者である
公卿で歌人だった、大伴旅人氏の顔画像を。↓
以下に、大伴旅人氏の家族や経歴などの
プロフィール一覧を掲載する。↓
出典「 大伴宿禰旅人おおとものすくねたびと
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/tabito.html 」より引用
また、大伴宿禰旅人氏の居住地は
「 太宰府 」であるとされ、新元号「 令和 」の
由来にもなった万葉集の「 太宰府の梅 」は、
自宅のある太宰府政庁跡で、催されたという。
では、「 太宰府 」とは何か?
大宰府( だざいふ )は、7世紀後半に、
九州の筑前国に設置された地方行政機関。
つまり太宰府は、今で言う「 九州地方の県庁 」
みたいな地方自治体では、なかろうか。
ちなみに太宰府政庁跡は、新元号「 令和 」の
聖地巡礼となり連日、観光客で大賑わいだと言う。↓
太宰府の梅のある、大宰府政庁跡の住所は
福岡県太宰府市観世音寺4丁目6−1となる。
私めが大伴宿禰旅人氏の経歴を見て思うのは、
いかに親の七光りで出世をしたと仮定しても、
メキメキと頭角を現して出生街道に乗り始めたのは、
40代に入ってからだったと、いうことだ。
前章でも軽く触れたが、万葉集の「 梅花の宴 」
とは、天平2年正( 1 )月13日に、大伴宿禰旅人氏が
太宰府の私邸に集まって開いた催( もよお )しの事。
「 梅花の宴 」は「 観梅の宴 」とも呼ばれる。
万葉集の第五巻は観梅の宴で詠まれた
三十二首の和歌が収められている。「 令 」と「 和 」は、その序文から
抜き出された。政府によると、この序文は宴を催した、
九州・太宰府( だざいふ )の長官で
万葉歌人の大伴旅人( おおとものたびと )
が書いた。万葉集に詳しい歌人の佐佐木幸綱さんは
「 離島の壱岐( いき )や対馬も含めて
九州全域から国司が参集し、
梅花を題材に歌を詠んだ。新年に梅を観賞するためだけに
遠隔地から大勢集まるのは、
万葉集に登場する宴の中でも珍しい。言葉や自然を重んじる平和な文化が
あった証し 」と語る。しかし二世紀の後漢の時代に活躍した
文学者で科学者の張衡( ちょうこう )の
詩文「 帰田賦( きでんのふ )」には
「 仲春令月、時和気清( 春二月、
季節は穏やかで空気は澄んでいる )」
という一節がある。笹原氏は「 万葉集の序文は張衡の帰田賦や、
( 中国の書聖 )王羲之( おうぎし )の
『 蘭亭序( らんていじょ )』など、
万葉集以前の中国古典を踏まえているようだ 」
と指摘。国文学研究資料館長のロバート・キャンベルさんは
「 北東アジアは同じ漢字文化圏なので、国書か
中国の古典( 漢籍 )かという排他的な選別が
あってはならないと思っていた。今回は帰田賦へのオマージュ( 敬意 )があり、
漢籍を包摂したといえる 」と評価した。
つまり、「 中国の漢籍 」を包括しているのが
「 万葉集の巻五、梅花( うめのはな )の
歌三十二首并( うたさんじゅうにしゅあわ )
せて序( じょ )」の中の一文となる。
#令和
決まりましたねー(*ˊᵕˋ* )
万葉集からの由来なんだーと思うと意外でした。しかも歌は梅の花の歌からとは。今年の梅の写真とともに素敵な未来になりますように.。.:*゚:*:✼✿゚:*:✼.。✿.。 pic.twitter.com/tJEHPEE4Sr
— よもぎ (@PlaceIts) 2019年4月1日
「 梅の花を愛でる和歌の催し 」が開かれた時に、
万葉歌人の大伴旅人が詠んだとされる歌が
「 梅花( うめのはな )の歌 」なのだ。
時に、初春( しよしゆん )の令月( れいげつ )にして、
気淑( よ )く風和( やはら )ぎ、梅は鏡前( きやうぜん )の
粉( こ )を披( ひら )き、蘭( らん )は珮後( はいご )の
香( かう )を薫( かをら )す。時に、初春の好き月にして、空気はよく風は爽やかに、
梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、
蘭は身を飾った香のように薫っている。
つまり、作者で歌人の大伴宿禰旅人氏が詠んだ
万葉集の「 梅の花の歌 」の中から、新元号の
「 令和 」が選ばれたのだった。
ちなみに、万葉集研究で「この和歌はどの漢籍の影響下に成立したのか」を分析するのは基本作業であるというくらい、万葉歌は漢籍の影響を受けている(画像は一例。学生時代に書いた『万葉集』巻三「大伴旅人讃酒歌」のレポートの一部)。 pic.twitter.com/GCZbRbR8u1
— atik (@atik_nb) 2019年4月1日
日本最古の和歌集と呼ばれる「 万葉集 」は、
小学生でも知っている位もう既に、お馴染みだと
思われるので、さらっと引用で説明したい。
『 万葉集 』( まんようしゅう、萬葉集 )
は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた
日本に現存する最古の和歌集である。
作者不詳の歌、2,100首を含めた4,500首以上の
和歌を集めた書籍が、万葉集である。
ちなみに「 和歌 」とは、短歌型式の古典詩で、
特に短歌「 五七五七七 」は、すべての時代を通して
最も詠まれている形式の和歌である。↓
🖌️新元号に対する一句を詠む。
🗣️「 あたらしく
きたるじだいを
よかんさせ
しんげんごうに
むねおどらせる 」
🎴新しく
来たる時代を
予感させ
新元号に
胸踊らせる https://t.co/rp72cdHpb8— 締めの和歌五七五七七短歌 (@tanka_waka) 2019年3月29日
奈良県高市郡明日香村飛鳥10にある「 県立万葉文化館 」で、
文化館の研究員が『 万葉集 』の歌を、数首ずつ
取り上げて、丁寧に読み解いてくれるイベントを
開催しているという。
ただし每日ではないので、詳細は
以下のリンクから、ご覧頂ければと思う。↓
[blogcard url=”http://www.manyo.jp/event/detail.html?id=243″]
県立万葉文化館の広域地図は以下に貼っておく。↓
いやしかし、万葉集で令和の作者だった
大伴宿禰旅人氏も、天平2年の元号に詠んだ
自分の和歌が、まさか1289年後に新元号として
採用されるとは夢にも思わなかったに違いない。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/shingengou/”]
初春とはいえ、1月でまだ寒い時期のはずで
その時の「 梅の花の宴 」で詠んだ和歌が、
「 風が爽やかで空気が澄み、綺麗に咲いた
梅の花が美女の様に綺麗で、欄の花の香りが
漂ってくる 」という情景であった。
梅花の宴で和歌を詠むと聞くと、一見
今の日本と同じで天下泰平の世の中だと
思われるかもだが、大伴宿禰旅人氏が8歳の頃、
「 壬申の乱 」の戦争が勃発している。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/reiwa/”]
また、征隼人持節大将軍として九州に
赴任した720年は、「 隼人の反乱 」という
戦争が九州地方で起き、1年半も続いている。
結構ヘビーな戦争体験を積み重ねてからこそ、
作者である、大伴宿禰旅人氏が「 梅花の宴 」で
詠んだ和歌には和平を、しみじみと実感できるではなかろか。
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