山梨県の椿荘オートキャンプ場【 南都留郡道志村椿4058 】の丁字路から
小川がある方向に向かって走って行った、小学校1年生の女児【 7 】が
行方不明になったが、その現場がどこかをGoogle地図で表示する。
【 本稿の記事ページの目次 】
山梨県椿荘オートキャンプ場で行方不明の場所
では、まず9月21日の午後3時40分ごろに女児が行方不明になった山梨県の
道志村にある椿荘オートキャンプ場の場所からGoogle地図で表示する。↓
30日で、すでに女児が忽然と姿を消してから9日目になるが
椿荘オートキャンプ場の広域の地図もGoogleマップで表示する。↓
では行方不明になった女児の姿が最後に目撃された場所は、どこなのか?
広場から続く下り坂を下った先の丁字路を小川のある左に曲がる姿を母親らが見ていたが、その後の目撃情報はない。
小倉さんは身長125センチくらいでやせ形。不明になったときは黒の長袖シャツにジーパン姿で、緑のスニーカーを履いていた。
上の産経新聞の報道によると、「 広場から続く下り坂を下った先の丁字路を
小川のある左に曲がる姿 」とあるが、最後に目撃された場所はどこなのか?
道志村で女の子が行方不明になっている件、こういう状況だったようです。キャンプ場の南側にある広場から、北西側にある椿沢の橋のほうへ遊びに行った子どもたちを一人で追いかけて、道路を左に曲がった(赤矢印)ところまでは母親が見ていると。NHK報道による。地理院地図に赤書込 pic.twitter.com/BjUbzz8aLS
— 上川瀬名 (@Yokohama_Geo) September 24, 2019
行方不明になった女児が姿を消す直前に目撃された場所は、「 椿荘オートキャンプ場 」ではない。
椿荘オートキャンプ場から南にあるテントを設営していた広場から、
北進した坂道を下った先の丁字路で、「 椿沢 」の橋が架かっている方角へ向かい
左に曲がって他の子供達を追いかけていったT字路が母親が最後に見た場所になる。↓
上のGoogleマップでいうと、左の椿沢のある方向に向かって行ったことになる。
地図上の「 椿荘オートキャンプ場 」は地図の北側にある。
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椿荘オートキャンプ場で最後の目撃場所のストリートビュー
では次に、山梨県南都留郡道志村の椿荘オートキャンプ場の近くの
広場の先で神隠しにあった丁字路の場所がどこかをGoogleストリートビューで。↓
画面に向かって左( 南 )側が、神隠しに遭った女児の家族が
テントを張っていた広場で緩やかな坂道に、なっている。
さらに先に進むと椿沢にかかる橋があるが、水遊びに行っていた友達は女児が行方不明になった21日の午後3時40分以降の午後4時には戻ってきている。
最後の目撃情報が上の地図画像の丁字路なので、他の友だちが水遊びに行っていた西の森の脇の椿沢に着く前に行方不明になっている。
上の地図画像から前進して、緩やかな右カーブを抜けると椿沢に架かる橋に着くが、
自動販売機のある左側の場所が「 南の広場 」だ。↓
椿荘オートキャンプ場の公式サイトの見取り図からの場所
小学生行方不明について現在、少女捜索活動のためしばらくの間、営業一時休業中しております。
上の公式サイトの引用画像は、南北が逆になっているので画面側に
本来なら北側にある国道413号線と椿沢に分流する前の道志川がある。
行方不明になった女児は、友達が遊んでいた沢に到着していないので、
その直前で何らかの事件か事故に巻き込まれた可能性が有る。
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山梨県道志村で行方不明になった女児の自衛隊の捜索場所
次に、9月28日の午後で捜索が打ち切りになった自衛隊の捜索場所の地図を見てみる。
捜索範囲は広く、女児が行方不明になった椿荘オートキャンプ場の東側、
道志川と国道413号線が交差する辺りから西の室久保川までの一帯だ。
直線距離にして、約4.5キロであるが、10月1日の今現在も見つかっていないが、
地元の地理に詳しい消防団も29日で捜索から撤退した。
山梨県で行方不明になった女児は現在無事に生きている?
災害における人命救助の概念に「 72時間の壁 」という言葉がある。
日本で用いられる「72時間の壁」という用語は、朝日新聞によれば、一般に人間が飲まず食わずで生き延びられる限界が72時間である。
1995年( 平成7年 )1月17日に発生した兵庫県南部地震( 阪神・淡路大震災 )において、救出者中の生存者の割合が、発生から3日を境に急減した。
という2点を根拠とした表現ということになっている。
山梨県の椿荘オートキャンプ場で7歳の少女が行方不明になってからすでに10日が経過している。
まだ希望を捨てたくはないが、かなり厳しい現状であることは間違いない。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/hong-kong/”]
2017年の10月9日の伊東市の山中で当時4歳の男児が行方不明になった時は、2日後に発見され生存が確認されたと報じられた。
女児が丁字路を曲がってから、椿沢に降りるための道は橋の手前にあり南の広場からは道を挟んだ真向かいの場所だ。
あくまでも私見であるが、おそらく事故ではなく事件の可能性が濃厚だ。
というのも、今回の捜索に加わったボランティアの男性が崖から滑落して行方不明になっていたが、2日後に無事、発見されているからだ。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/bando-pa/”]
ここまで捜索しても見つからないのは事故ではなく、なんらかの事件に巻き込まれたと考えるのが自然だろう。
女児の母親は会見で「 私が目を離さなければ 」と語っていたが、24時間つきっきりで首相を警護するSPでも雇わない限り、それは非現実的かつ無理な話しである。
知りたい事が3つあります。
1つはボランティアの方が滑落した場所です。崖が多い場所の様ですが、崖の斜面や底の部分など、警察や自衛隊がロープなどを使って充分探したのか知りたいです。
2つめは、事件だとしての捜査を警察がいつから、どの様に行っているかです。
付近はキャンプ場などが多い場所だと聞きます。発生時刻からするとキャンプから帰省する時間帯でもあるかと思います。付近のキャンプ場の宿泊名簿から宿泊者の調査、付近のビデオカメラの映像チェック、そのビデオに映っている車のドライブレコーダーのチェックなど行っているのか心配です。
3つめは、父親の行動です。
いくら仕事とは言え、行方不明になって6時間以上してから現場に到着なんて自分なら考えられません。
この3つに関して何か情報をお持ちですか?