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【 当記事ページの目次 】
4月5日に日本アニメ映画の巨匠、
高畑勲監督【 82歳没 】が逝去
( せいきょ )された。
日本テレビが、哀悼の意を捧げるために
明日13日の夜9時から放送予定だった名探偵コナンから
急遽、高畑勲監督作品の「 火垂るの墓 」に
差し替えを行なった。
上記のアニメ映画版の火垂るの墓の
原作者は、言わずと知れた作家の故・野坂昭如氏
【 85歳没 】が1967年に上梓( じょうし )した
短編小説である。
映画の冒頭のシーンで登場する亡くなる直前の
少年、清太のモデルは故・野坂昭如氏本人だが、
もうひとりの主人公、妹の節子は4歳という年齢設定だ。
火垂るの墓は野坂昭如氏の実体験を
元にして描かれている実話ではあるが、
細部どころか大筋の物語からして違っている
創作だという事が判明した!
登場人物の主人公の清太が14歳であることは
野坂昭如氏の当時の年齢と同じであるが、
妹の節子は4歳ではなかった。
だが、文字にしたとたん嘘( うそ )が混じる。
「 火垂るの墓 」は、ぼくの体験にもとづいてはいるが、
実際の妹はまだ1歳4カ月、喋( しゃべ )れなかった。
生前の野坂昭如氏本人が語ったとされる、
上記引用文の時点で映画のみならず短編小説の
ストーリー自体も史実と異なっている。
ただし、1歳4ヶ月になる妹が居たのは事実で
栄養失調で亡くなったのも実話に基づくものである。
つまり、高畑勲作品の「 火垂るの墓 」の原作は
野坂昭如氏の実話を基にした短編小説であるが、
全ての内容がノンフィクションでは無かったのだ。
しかしながら、戦争という悲惨な行為が
当時の日本に残した爪痕を語る上では、
この上ない史実を如実に物語っている。
それは野坂昭如氏が戦争の体験者である
という実話が証明していよう。
高畑勲監督追悼
「火垂るの墓」
明後日夜9時第二次世界大戦下の神戸が舞台、永遠に語り継がれるべき巨匠の感動作を是非ご覧くださいーー‼️
14歳と4歳の兄妹の「いのちの輝き」を描く物語✨#火垂るの墓 #高畑勲監督追悼 #高畑勲 #ジブリ #kinro pic.twitter.com/64UA5GjVxo— スタンリー@金曜ロードSHOW! 公式 (@kinro_ntv) 2018年4月11日
映画「 火垂るの墓 」では冒頭に
神戸大空襲のシーンが出てくる。
防空壕に避難する養母が空襲によって
大やけどを負い、その後数日後に
亡くなるという設定だ。
清太と節子を養子として引き取って育てていた
養夫婦は実際に神戸で貿易商を営んでいた。
この空襲は1945年6月5日に実際に有った
神戸大空襲の歴史を再現しているのだ。
故・野坂昭如氏自身、神戸で貿易商を営んでいた
養母の自宅が空襲で焼けて無くなったあと、
西宮市満池谷町の親類宅に身を寄せているが
映画でも、そのシーンは出てくる。
徐々にイヤミを連発しまくる親戚の叔母さんに向かって清太が
「 お母ちゃんが学校で亡くなったんです、おとつい! 」
と告げている。
が、実はこのストーリー設定も実話とは違う
事が判明した。
作者は養母死没の「 経歴の偽り 」を
この『 わが桎梏の碑 』でも詳しくは語らない。『 赫奕たる逆光 』で「 7年生きていた 」と
書かれた養母は、ここでは「 三十三年から、
定期的に送金し、だが、ついに逢わぬまま、
養母は49年秋、癌で亡くなった、入院を知らされ費用を出したが臨終に立ち会わず
葬儀にも参列していない 」となっている。
つまり養母は大やけどを負った事が原因で
そのまま亡くなったのではく、しばらくは生存したのである。
ちなみに、野坂昭如氏の実母は
「 ぬい 」氏であり、昭如氏が生まれた
2ヶ月後に亡くなっている。
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映画、火垂るの墓に登場する清太は
妹の節子に対して実に献身的で愛情深い。
面倒見の良い、優しい兄という人物設定であるが実話の野坂昭如氏は、どうだったのか?
主人公の兄は、飢えた妹に最後まで優しい。
ぼくはあんなに優しい兄ではなかった。
わずかな米をお粥( かゆ )にして妹にやる。
スプーンでお粥をすくう時、どうしても角度が浅くなる。
自分が食べる分は底からすくう。
実のあるところを食べ、妹には重湯の部分を与える。
これを繰り返し、だが罪の意識はない。
つまり、じっさいの清太である
野坂昭如氏は自分が食べる分の、
お粥を沢山すくって口に運んだという
実話を述懐しているのである。
だが、誰が野坂昭如氏を責められよう。
どんなに困窮しても法に背かず
清く正しく生きる様を「 悪木盗泉 」というが、
じっさいに終戦後、食糧管理法の規定を忠実に守った
東京地裁の判事が飢えによって生命を落とされている。
ただし、主人公の清太と節子の養父が空襲に拠って
生命を落とされているストーリーは実話の様だ。
では、回想シーンで登場する「 海軍大尉 」である
軍人の実父は本当に野坂昭如氏の父親であったのか?
原作でも、1935年の10月の連合艦隊の観艦式に
出ている様子が書かれているし、映画でも
軍艦マーチのBGMとともに敬礼する実父の描写がある。
また、清太が3,000円を下ろした銀行で連合艦隊が
全滅したとの噂を聞きつけるシーンもある。
しかし、Wiki情報には野坂昭如氏の実父である
野坂相如氏【 享年79 】が軍人である旨の記載は無い。
1947年、新潟県で最初の民選知事岡田正平の下に、
技官として全国で初めて副知事に抜擢される。
ウィキペディア情報が全て100%正しい訳ではないが、
上記のサイトの中には野坂昭如氏の実父が
海軍の大尉として出征したとされる記述は、
どこにも見当たらなかった。
つまり、野坂昭如氏の実父である野坂相如氏は
土木技術者であったのだ。
【13日に放送予定】
訃報から半日で「コナン」から「火垂るの墓」即断変更 日テレプロデューサーの決意「不朽の名作、今こそ」#火垂るの墓 #高畑勲監督 #ジブリ #スタジオジブリ #日本テレビ #日テレ #金曜ロードSHOWhttps://t.co/HvhhxV2e0K— ゆるとぴ (@YahooNewsYuru) 2018年4月12日
映画の火垂るの墓は実話と創作を
織り交ぜて描かれた野坂昭如氏の作品だという結論になる。
むろん、親戚の家に厄介になっている時に
防空壕に住むようになったというストーリーは実話である。
昨年12月9日に85歳で逝去した作家の野坂昭如さんが
戦時中、義妹と過ごした兵庫県西宮市内の防空壕と
親類宅の場所を地元の研究家らが確認した。
しかも野坂氏が妹と、ともに住んだとされる
防空壕と、その近くにある溜め池の場所まで
判明しているのである。↓
野坂昭如氏が実際に妹と住んだ防空壕の有った
兵庫県西宮市満池谷町には今では一般住宅が
立ち並んでいるが食器や体を洗ったりした、
溜め池は今でもある。
また、溜め池の南側には節子と清太こと
野坂昭如氏が身を寄せたとされる
住宅の場所まで明らかになっている。
だが、清太が銀行から3,000円
( 今のレート換算で569万4,270円 )も下ろしているのに
( 貯金の合計額は7,000円 )が有りながらも、飢えと戦う点も
( 当時が配給制であったとしても )なにか矛盾しているものが有る。
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結論から言えば、映画「 火垂るの墓 」の
原作者である野坂昭如氏の短編小説は、
実話と創作を織り交ぜた作品だったのである。
火垂るの墓は戦争の悲惨さを後世に伝えるには
十二分の高い付加価値を持った名作だと思われる。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/story/”]
野坂昭如氏といえばダウンタウンの浜田雅功氏【 54 】と、
テレビ番組で、ど付き合いをしたり
反社会勢力団体をガチで取材したりと
生前は、なにかと話題に事欠かない人物であった。
しかしながら野坂市氏が執筆された「 火垂るの墓 」
という短編小説が不朽の名作であることだけは間違いない。
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