台風の進路予想の最新情報がメインのブログです
女優の加賀まりこ氏【 73・本名:加賀雅子 】が
ゲスト出演したテレビ番組で「 映画デビューのキッカケは
高校生の時に町で2人の男性にスカウトされて
映画のヒロインに抜擢されたから 」と語った。
【 当記事ページの目次 】
ところで加賀まりこ氏の父親は
映画会社のプロデューサーだとは知らずに
篠田監督と寺山氏は声を掛けたというが
彼女の父親は、いったいどこの映画会社に
勤務されて居たのであろうか?
加賀まりこ氏の父親、四郎氏は映画会社
「 大英 」のプロデューサーを勤められていたが
娘の松竹での映画デビューの話しを、むしろ奨励したという。
デビュー当時の加賀まりこ氏の若い頃の
ツイッター画像は、下の写真になる。↓
加賀まりこ、女優デビューは寺山修司氏のスカウトだった「助けてやろう」 https://t.co/qMfN131cwW #芸能ニュース pic.twitter.com/nRbc6wbWqe
— スポーツ報知 芸能情報 (@Hochi_Geino) 2017年11月3日
若い頃の加賀まりこ氏のデビュー当時の
エピソードからも分かる様に加賀まりこ氏の父親は
「 義を見てせざるは勇なきなり 」の信条を、
持ち合わせて居た方なのでは、なかろうか。
1960年当時、若い頃の高校時代の加賀まりこ氏に
スカウトした男性2人は、劇作家の寺山修司氏
【 敗血症により47歳没 】と映画監督の篠田正浩氏
【 86 】であったのは報じられた通り。[ kaga-mariko ]
実は若い頃の加賀氏は映画デビューよりも
TVドラマに登場する方が早かったのである。
決まっていた映画のヒロインが急遽、中止になる
トラブルに見舞われた篠田氏と寺山氏が
手がけた加賀まりこ氏の映画デビュー作は
「 涙を、獅子のたて髪に 」【 1962年:松竹 】である。
涙を、獅子のたて髪に [ 藤木孝 ]
|
若い頃の加賀氏は涙を獅子のたて髪に、の映画で
ユキ役で初主演。( もう一人の主演は俳優の藤木孝氏【 77 】)
ざっと映画のストーリーを簡単に
説明させて頂くと、港で働く労働者たちの
物語を描いているのだが、あまり書くと
ネタバレになるので詳しくは打たない。
涙を獅子のたて髪に、は現在DVD化されて販売されている。
冒頭では若い頃の加賀まりこ氏の映画デビューよりも、
テレビドラマのデビューの方が
早いと申し上げた。
つまり、松竹映画「 涙を獅子のたて髪に 」の
公開年は1962年だが、若い頃の加賀氏が出演されていた
TVドラマ「 東京タワーは知っている 」が
ブラウン管に登場したのが1960年であった。
若い頃の加賀氏が芸能界デビューした1960年に
フジテレビ系列で放送された「 東京タワーは知っている 」
は、8月5日の夜10時からの30分枠で1回のみの
完結ドラマで有ったようだ。
「とべない沈黙」「男嫌い」「春の夢」など特集上映、加賀まりこのトークも実施(写真26枚) https://t.co/xak8QRtvPE pic.twitter.com/cxqKELWF0E
— 映画ナタリー (@eiga_natalie) 2018年5月16日
しかし、1960年には映画の撮影も同時に
行われていたのでは無かろうか?
この辺りは事情を全く知らないので、
私めの勝手な想像で打っているが。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/akie-abe/”]
さて、2017年現在の加賀まりこ氏の
女優業は、どの様なお仕事をされて
いらっしゃるので有ろうか?
( 以下「 加賀まりこ 」から引用 )↓
テレビ:やすらぎの郷( 2017年4月~テレビ朝日 )水谷マヤ役
映画:サクラダリセット前篇( 2017年 )魔女役
( 引用ココまで )↑
しかし、デビュー年が1960年で
いまだに現役で女優業をされているのは
凄いの一語に尽きよう。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/cinema/”]
不肖この私めが生まれる10数年以上も前から
芸能界で、お仕事をされてきている訳だから
頭が下がる思いで、いっぱいである。
小悪魔とも呼ばれた加賀まりこ氏は、
幼少の頃から歯に衣を着せぬ物言いだったそうな。
なら、コメンテーターや評論家としての道も
有ったように思うのだが、やっぱり加賀氏といえば女優業なのである。
記事ランキング
PR( 本ページはプロモーションが含まれています ) 北朝鮮と韓国の交流の拠点でホットラインだった、開城ケソン工業団地の中にある「 南北共同連絡事務所 」の場所が、どこかをGoogleマップで表示す […]