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2018年の6月30日に世界遺産委員会から、めでたく
「 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 」が
世界遺産一覧表に記載されることが
正式に決定したと発表されたが、
潜伏キリシタン関連遺産とは?
【 当記事ページの目次 】
まずは「 潜伏キリシタン関連遺産 」の長崎と天草地方
12箇所全てが世界遺産登録に正式決定され、
本当に、おめでとうございます。m(_ _)m
ざっと「 潜伏キリシタン世界遺産 」とは何か?を
おさらいさせて頂くと、要は当時の江戸幕府が
封建社会を実現させたがっていたが、その妨げに
なるキリスト教の宗教理念が幕府の方針に
そぐわなかったから禁教令を出したと言われている。
上記の内容が、いわゆる「 禁教令 」だが
それよりも65年前にフランシスコ・ザビエル氏
【 46歳没 】が1549年に日本にキリスト教を、
伝来させた時は領主の許可を得て布教活動も出来ていた。
1614年の禁教令から1873年( 明治6年 )の
禁教高礼撤廃までの実に259年もの間、幕府の弾圧から
隠れて潜伏しながらも熱心にキリスト教信仰を
行ってきたキリシタンの歴史そのものでもある。
世界文化遺産に登録された構成資産の数は「 12 」なのだが、
建物などを細かく分類するとなると、もっと数は増える。
次章から「 長崎と天草地方、熊本県の潜伏キリシタン
世界遺産 」の場所をGoogle地図で見ていきたい。
1549年に起きた「 島原の乱 」が潜伏( 隠れ )キリシタン
発祥の地である原城跡での一揆軍と幕府軍との戦闘場所だ。
当時、すでに廃城になっていた原城を拠点にして
勃発した島原の乱で、どうしても欠かせない人物が
島原の乱に於ける一揆軍の最高指導者だった、
天草四郎時貞氏【 15~17歳頃没 】だ。↓
実質的には、裏で操る年上の一揆軍の幹部連に
担ぎ上げられたらしいが、若くして早逝されている。
幕府軍との激しい戦闘が展開された原城跡の
潜伏キリシタン世界遺産の場所のGoogle地図。↓
上が広域地図で下が詳細地図になる。
下のGoogleストリートビューは、付近の
道路から望む原城跡の土塁である。↓
ストリートビューの視点から見た原城跡の
奥には天草四郎氏の墓も有るので一緒に行かれてみては?
国指定史跡でもある潜伏キリシタン世界遺産の
原城跡の住所は長崎県南島原市南有馬町乙だ。
ユネスコの世界遺産委員会が世界文化遺産に
登録を決定した、長崎県と熊本県の12資産に上る
「 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 」の
2番目は、平戸島の文化的景観でもある「 平戸
の聖地と春日集落 」と安満岳の2箇所がある。
まずは、16世紀当時のキリスト教の布教の形を
現在に残す春日集落と平戸の聖地の場所をGoogle地図で表示。↓
上は広域地図で、住所は長崎県平戸市春日町
になるが、以下に広域地図も示す。↓
次に、平戸の聖地から車で51分の位置にある
安満岳の場所をGoogle地図で移動ルートを表示する。↓
ちなみに安満岳( やすまんだけ )の住所地は、
長崎県平戸市山中町だ。
平戸の聖地と集落で、中江ノ島も潜伏キリシタン世界遺産を
構成する12資産の中の1つに数えられる。
中江ノ島の場所の住所地は長崎県平戸市下中野町
だが、現在は上陸は出来ない事になっている。↓
近くの海を航海するクルーズ漁船が期間限定で
地元の観光協会が昨年の2017年に動かしていたが、
今年も動くかは未定である。
そこで近くを通る定期フェリー船「 太古 」に
乗れば中江ノ島を見る事は、できる。↓
[blogcard url=”http://www.nomo.co.jp/taiko/fare.html”]
博多~宇久島で、3,760円が大人1名の基本運賃だ。
つまり、「 隠れキリシタン世界遺産 」で12有る
構成資産のうち、「 平戸の聖地と集落 」だけが
以下の3遺産を含み、2つを占める事になっている。↓
上記の様に、ひとくくりにすれば「 1構成 」になるのだが
敢えてそうしなかった理由は、故イエス・キリスト氏
【 30~33歳没 】の「 十二使徒( 12人の高弟 )」に
ちなんで数合わせを行ったのでは?と見ているのだが。
長崎( 熊本 )と天草地方の潜伏キリシタン世界遺産で
4番目の構成資産に当たる「 天草の崎津さきつ集落 」
(「 﨑 」は機種依存文字 )の場所には隠れキリシタンの
象徴的な意味を持つ「 カトリック崎津協会 」がある。
上の天草の崎津集落の住所地は熊本県天草市河浦町
崎津535で、カトリック崎津協会までは徒歩1分だ。↓
﨑津村庄屋吉田家跡に建てられたカトリック崎津協会は
重厚なゴシック様式の建築だが、春の季語にもなっている
「 絵踏 」が行なわれた場所でもある。↓
踏み絵は1629年( 寛永6年 )に長崎で
隠れキリシタンを捕らえる目的で、イエス・キリストや
聖母マリアの像を踏ませるために導入されたが、
発案者は不明であったとされる。
「 隠れキリシタン世界遺産 」の構成資産のうち
外海( そとめ )地方は出津( しつ )集落と
大野集落の2箇所を占めるが、いずれの場所も
フランス出身のマルク・マリー・ド・ロ神父
【 74歳没 】が関わっており尽力されている。
では、最初の外海地方の出津集落の場所の全体地図から。↓
つまり、ド・ロ神父が設計・指導して建てられた
出津教会堂や旧出津救助院が含まれる建物を含む
集落全体を指して「 外海の出津集落 」と呼ばれている。
同じ出津集落の中に有る出津教会堂から
旧出津救助院までは、徒歩6分でアクセス出来る。↓
出津教会堂の住所は長崎県長崎市西出津町2633で、
旧出津救助院は西出津町2696番地1である。
出津集落を含む外海地区の司牧を担当されていた
ド・ロ神父の人望は凄まじく、当時の潜伏キリシタンの
信者たちからは「 ド・ロさま~♪ 」と慕われていた。
旧出津救助院の真向かいにはド・ロ神父記念館が建てられている。
出津集落と同じ外海地方の大野集落の場所である。↓
上の大野集落の中に有る大野教会堂はド・ロ神父が設計と
建設の指導を手がけた遺産で、出津集落から北側に有る。
大野教会堂の住所は長崎県長崎市下大野町で、
ストリートビューからの視点は以下の通り。↓
潜伏キリシタン関連遺産で黒島の集落は完全な
離島だが、今でも466人の島民が暮らしている。
交通アクセスの方法は、長崎県佐世保市の
相浦桟橋近くの相浦港から、フェリーくろしまが就航している。↓
[blogcard url=”http://kuroshimakanko.com/access/”]
フェリーくろしまに乗るには、事前に電話予約が
必要なので、詳しくは上のリンクカードから。↑
相浦港から黒島港までの直通便ではなく、
高島経由にはなるが、所要時間は約50分である。↓
黒島の住所は長崎県佐世保市黒島町だ。
隠れキリシタン世界遺産では、8個目の構成資産になる
野崎島の集落跡だが、場所的には五島列島の北側に
位置するが平戸諸島の一部の島にカウントされる。↓
黒島や野崎島の離島へ、隠れキリシタン達は幕府軍の
迫害から逃れる様に移住しているが元々の居住地は
外海地方の辺りで、本土から移り住んでいる。
交通アクセスは老朽化した第三はまゆうに変わり、
「 新型はまゆう 」が就航しているので下にリンクを貼る。↓
[blogcard url=”http://ojika.net/tourism/transportation/hamayu/”]
頭ヶ島( かしらがしま )集落も、ユネスコの
世界文化遺産に潜伏キリシタン関連遺産の9番目の
構成資産として登録が正式に決定した。
頭ヶ島の場所の住所地は崎県南松浦郡新上五島町で、
五島列島の北側に位置する島だ。
幕末までは無人島で有ったが、明治維新前後に
禁教高礼の取り締まりから逃れる様にして、
隠れキリシタンの信者たちが移住してきた。
上五島は地形が複雑で潜伏しやすく、多くの
隠れキリシタンが移り住んだと言われている。
五島列島は5つの島で成り立つ訳ではなく、
大小あわせて140あまりの島々が連なる列島だ。
上五島への交通アクセスは佐世保( させぼ )港から
フェリー船が出ているので、ルートは下の地図で。↓
上の交通アクセスの地図では、車のアイコンに
なってはいるが、船のアイコンが無いだけなので。
それと、上頭島には上五島空港が有るが2018年現在は使われていないので念のため。
潜伏キリシタンの信者たちが隠れ住んだ久賀島は、
五島列島の、ほぼ中央の場所にある離島である。↓
久賀島の集落は島全体であるが、その中にそびえ建つ
旧五輪教会堂は国指定重要文化財に指定されている。
旧五輪教会堂の住所地は長崎県五島市蕨町993−11。
交通アクセスは福江島から久賀島まで、
木口汽船のフェリーと高速船が出ている。↓
久賀島までフェリーおよび高速船のリンクは、
以下に貼るので、ご参考までに。^^↓
[blogcard url=”http://www.kiguchi-kisen.jp/”]
う、わ…しかし、この「 長崎と天草地方の
潜伏キリシタン関連遺産 」の場所の地図を示す、
記事の作成が、ここまで大変だったとは!?
めでたくユネスコの世界文化遺産に登録された
構成資産の数が12も有るってのも関係あるけど、
江戸時代から明治維新後も当時の、お役人に
弾圧され続けてきた隠れキリシタンの信者の
方々に比べれば全然、大したことは無いか?
っつー事で、いよいよ大詰めを迎えてきた構成資産の
11個目は、久賀島の北東に位置する奈留島の
江上集落( 江上天主堂とその周辺 )である。
奈留島( なるしま )の江上集落は、島全体ではなく
県道168号線を中心とした江上天主堂と、
その周辺の地域の場所だ。
国指定の重要文化財に指定されている、
カトリック江上教会こと江上天主堂は、
長崎県五島市奈留町大串1131が住所地だ。
実は、江上天主堂は2018年の今年で
完成から100年目を迎えるのだという。
奈留島への交通アクセス方法は、数種類ある。↓
長崎港( 長崎市 )からフェリー、福江港( 五島市福江島 )から
フェリーと高速船が運航されているほか、
博多港(福岡市)からのフェリーもある。福江~奈留島間の所要時間はフェリーで
40~45分、高速船で30分。長崎 → 福江 → 奈留島 → 奈良尾( 新上五島町中通島 )
→ 長崎( 九州商船フェリー )1日1便福江 – 奈留島 – 若松( 新上五島町若松島 )
( 五島旅客船フェリー )1日3往復
( 福江行き始発便と福江発最終便は福江~奈留島間のみ )福江 – 奈留島 – 土井ノ浦( 若松島 )- 郷ノ首( 中通島 )
( 五島旅客船高速船・奈留島折り返しの便もあり )
( 福江発 )1日2便、( 奈留島発 )1日3便博多 → 奈留島 → 福江( 野母商船フェリー
博多~福江航路の下り便のみ寄港 )1日1便
上記のウィキの編集者も、よくもまぁ
ここまで丹念に調べ上げるものだと関心しきりだ。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/sakanoke/”]
国宝指定の潜伏キリシタン世界遺産で、いよいよ
12個目の構成資産のラストは「 大浦天主堂 」だ。
大浦天主堂は日本本土の九州地方にあり、
所在地は長崎県長崎市南山手町5−3にある。
江戸時代末期の1864年に外国人居住者の為に
建てられたのが大浦天主堂である。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/narrator/”]
1865年の落成式の直後に長崎県浦上村の
潜伏キリシタン10数人が訪れて隠れ信仰を
告白した事から「 信徒発見 」と呼ばれる。
大浦天主堂は境内( けいだい )も、国指定史跡に
なっており、真隣に位置する旧羅典神学校が
国指定重要文化財に、なっているのだった。↓
時代が倒幕で江戸から明治に移り変わっても、
禁教政策だけは旧態依然のままで、明治政府も
明治6年の禁教高礼撤廃までは厳しく取り締まった。
と、言うことは明治政府も封建制度を踏襲した
政治を行おうとしたのであろうか。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/himiko/”]
実は、潜伏キリシタンの信者は何も長崎地方と
天草地方( 熊本地方も )のみに居たわけではない。
17世紀ごろには東北地方なども含めた全国に
敬虔なキリスト教信者は分布していたのである。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/fatima3/”]
しかし18世紀に入ると、隠れキリシタンは
長崎と天草地方、熊本地方のみの周辺に限られた。
宣教の拠点だった潜伏キリシタン関連遺産の
ある地域だけが残った理由は、宣教師から直々に
長期間の指導を受け、強固なキリスト教組織の
集団形成を構築して行ったからである。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/matsuuratakeshiro/”]
しかし、不肖この私め自身は本当の理由は
「 幼い頃からの宗教教育が人間を洗脳した 」
事で強固な宗教マインドが個人個人に形成されたから、
だと見ている。
悪い意味で申し述べて居るわけではなく、
まさに戦前の軍国教育の「 欲しがりません勝つまでは 」
という洗脳を幼い頃から徹底的に叩き込めば、
その教えは幼児から老いてもなお、廃れない。
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