2019年10月31日の木曜日のハロウィンに、15世紀の室町時代から明治初期まで
450年も続いた琉球王国の象徴で、2000年に「 首里城跡 」が世界遺産に登録された
首里城の正殿と北殿が火災によって全焼、南殿にも延焼したがその場所を地図で表示。
【首里城で火災】
現在の様子はこちらです(浦添方面よら)。 pic.twitter.com/z512XEyNVz— DEEokinawa (@dee_okinawa) October 30, 2019
【 本稿の記事ページの目次 】
全焼した首里城正殿と南殿の場所の地図
日本の名城100選にも選ばれた首里城の中心にある庭は、御庭( うなー )と呼ばれ、
東側の正殿を真正面に見た場合、左( 北 )側が北殿、右( 南 )側が南殿となっている。
31日の未明に発生した火事で全焼し、建物が完全に消滅した正殿の場所をGoogle地図で。↓
さらに沖縄県全体の広域から見た首里城の正殿の場所を地図で見てみる。
次に3Dマップから見た、首里城の正殿と南殿、北殿の場所がどこかを確認する。
火事で全焼し、跡形も無くなった首里城正殿の住所地は沖縄県那覇市首里金城町1丁目2だ。
次章では、全焼したと言われる北殿の場所がどこかの地図を掲載する。
スポンサードリンク
首里城北殿の全焼した場所のGoogle地図
どうにか原型は、とどめているものの、正殿と同様に火事での全焼が報じられている
首里城北殿の場所の住所地は沖縄県那覇市首里当蔵町3丁目1だ。
Googleの3Dマップで表示させると上の地図画像になるが北殿は、うなー( 御庭 )を挟んで正殿に隣接している。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/joso/”]
延焼でほぼ全焼した南殿の場所を地図で
上の画像が正殿からの延焼火災で、焼失した首里城公園南殿・番所の場所のGoogleアースである。
南殿および番所の所在地は、沖縄県那覇市首里金城町1丁目2だ。
ちなみに火災で焼失した首里城の正殿および北殿と、ほぼ全焼した南殿を含めた
一帯の土地全てを含めて「 首里城公園 」と呼ばれる。
スポンサードリンク
沖縄県の首里城公園全体の場所の地図
太平洋戦争時の沖縄戦で焼失した首里城の再建がなされた、1992年
( 平成4年 )11月2日に開園したのが「 首里城公園 」だ。↓
首里城公園全体が見渡せる地図画像が公式サイトにあるので以下にシェアする。
沖縄県那覇市の首里城の出火原因は不明
那覇署によると、30日深夜まで準備などのために城内に人が残っていたとの情報があり、状況を調べている。
日本経済新聞の報道では城内に人が残っていたとされるが、
朝日新聞の報道では、みな帰って人は残っていなかったとされる。
火災に気づいたのは、首里城の警備員。警備システムのセンサーで熱反応があり、
確認したところすでに正殿から火の手が上がっていたという。正殿には31日未明まで、開催中の「 首里城祭 」の関係者が作業をしていたという。
出火当時は帰宅しており、出火原因との関係はわかっていないが、
署は首里城公園の関係者やイベントの関係者に事情を聴いている。
出火した場所は首里城の正殿であるが、いまだに原因は不明であるという。
続報で詳細が分かり次第、最新情報に更新していく。
スポンサードリンク
1945年の沖縄戦でも消失し1992年に再建
今回、火災で焼失した首里城は、太平洋戦の沖縄戦で1945年5月27日に
米軍の軍艦ミシシッピなどから砲撃で焼失したが、1992年に再建された。
上の画像は戦災で失われる前の首里城の、うなー( 御庭 )での
空手演武の写真で、1938年( 昭和13年 )当時の正殿が写っている。
ちなみに首里城は、わかっているだけでもこれまでに4回(1453年・1660年・1709年・1945年)も焼失しています。今回を加えると5回目です。大ショックには違いないのですが…何度も何度も全焼から復活してきたお城なので大丈夫、首里城はまた蘇るよ…と思うことにしておきます。 pic.twitter.com/gRntsMe4O1
— 昆布山葵 (@konbuwasabi) October 31, 2019
本日、焼失したは正殿を中心とする建築物群を復元する際に開園したのが首里城公園だ。
[blogcard url=”https://takenori.info/blog/kouken-kasei/”]
インターネットでツイッター民の反応は
原因不明の火事によって焼失した首里城に対するインターネットユーザーの
反応をツイッター民の、つぶやきからまとめた。
朝起きたら首里城全焼のニュース。行ったばかりだったので、驚きが大きいです、、、
復元できるのかな、、 pic.twitter.com/MH2ks9Ptht— Nahomi Kawasumi 川澄奈穂美 (@NahoKawasumi_9) October 31, 2019
はぁーあーーーー😭
首里城が悲しすぎて、ハッピーハロウィン🎃とかツイートできない。。。— 加藤沙耶香 (@katosaya_) October 31, 2019
中学のときに修学旅行で首里城ゼエハア言いながら登って見に行ったけど、すごく綺麗でゼエハア言いながら登った甲斐があったなって中学生ながらに思った思い出…あの綺麗な建築物が失われてしまったのか……
— しおまめだいふく (@f_shiomame) October 31, 2019
首里城が大変なことになってるけど,復元なのに世界遺産として登録されてたことがむしろ意外.一度復元できたのだから,もう一度復元できるはず.
— IMAI Makoto (@ybokmr) October 31, 2019
早朝お父さんから電話がかかってきて「首里城が全焼してる…テレビ見てごらん」って。すごく背中がぞくぞくして、怖くて見れなかった。
つらくて、なんで?なんで?って思った。— まりー (@2525mari7788) October 31, 2019
え。首里城………今年行ったばっかや…青空と首里城のコントラストが沖縄ならではの素晴らしい景色だったのに( ;ᯅ; )
— ꐕみわꐕ (@miwa_d) October 30, 2019
今朝がた、首里城の方を眺めるとまだ煙が上がっておった。
昨夜から懸命に消化作業をされている消防の皆さまがた、本当にお疲れ様でござる。
また近隣住民の皆さまがたも、くれぐれも怪我のないようお気をつけくだされ。
白い雲と青空に映える真紅の正殿を、いつの日かまた見たいものでござる。。 pic.twitter.com/f7rQzyRSC1— banto (@AIbanto) October 31, 2019
2,000円札の裏側にも印刷されている守礼之邦( しゅれいのくに )の、
篇額( へんがく )が掛かっている守礼門は16世紀中頃の創建され、
後に待賢門から首里門になったとされるが、この門は無事のようだ。
今回の火事で不幸中の幸いだったのは、犠牲者が出ていないこと。
焼失した建造物は、いくらでも作りなおせるが失われた人間の命は戻ってこないからだ。