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柔道と言えば日本の、お家芸だと言われる中
1964年の東京オリンピックで見事な金メダルに輝いたのが
オランダの故アントン・ヘーシンク十段
【 国際柔道連盟:76歳没 】だ。
階級は無差別級で決勝戦の相手は
神永昭夫九段【 講道館:56歳没 】だった。
1964年当時、不肖この私めは、まだ生まれていないので
詳しい当時の状況は知らないが神永選手が
決勝で破れた時、水を打つような静けさだったという。
また「 袈裟固め 」で一本を取った
金メダル確定の勝利後、アントン・ヘーシンク
( Antonius Johannes Geesink )選手は
右手で何かを制しているが、この動きの意味は
オランダ勢の方々が畳の上に駆け上がろうとする
行動を諌めたのだと言われている。
東京オリンピックから9年後の1973年、
ヘーシンク選手はプロレスラーに転向し、
あのジャイアント馬場選手【 61歳没 】と
タッグを組んで試合を、したことも有る。
プロレスの方は柔道ほどに輝かしい足跡を残すこと無く、
5年後の1978年に引退されている。
プロレスの世界から引退された後は
柔道界の指導者として邁進していくことになる。
1985年から1989年までは国際柔道連盟教育普及理事を、
1987年より国際オリンピック委員会委員を務めた。
IOC委員を務めたヘーシンク選手は2000年に日本政府から正四位勲三等瑞宝章を贈られている。
次章では、そんなヘーシンク選手の
プロフィールなども、ご紹介させて頂きたい。
故・アートンヘーシンク氏の
プロフィール一覧を以下に、まとめた。
東京オリンピックでの決勝戦の試合を観た時に
「 なんか動きがレスリングっぽいな 」と思ったのは、
もとアマチュア・レスリング選手だったからなのか。
つまり、アマチュア・レスリング選手、
柔道家、プロレスラーという3つのスポーツの
経歴を持っているのがヘーシンク選手なのである。
1946年の東京オリンピックで日本人の
神永選手を下した時には日本中が深い溜め息に
包まれたらしいが、もし東京五輪でアントン選手が
勝たなかったら今後、柔道はオリンピックの
正式種目には、ならなかったと言われている。
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前章ではアントン・ヘーシンク選手は
3つの競技を経験したスポーツ選手だと述べたが、
実はプロレスラーに転向する前は柔道家として
後進の指導に当たる一方、石油会社の経営も行なっていた。
更には映画「 聖書の裁き 」にも
サムソン役で出演するなど、俳優業もされている。
そんな多才な顔ぶれを持つヘーシンク選手が
世界的に柔道が広まる事になったキッカケを作った
と語るのはオランダスポーツ協会会長にして
オランダ柔道連盟の会長でもあるMr.Jos Hell( ヨス・ヘル )氏だ。
実はヨス・ヘル会長こそ、
故アントン・ヘーシンク氏の教え子なのである。
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