不如帰の徳冨蘆花氏があらすじで大山捨松氏に謝罪した理由

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不如帰あらすじ徳冨蘆花が大山捨松に謝罪した理由は?

hototogisu

不如帰と書いて、ほととぎす[ hototogisu ]と読む

 小説「 不如帰 」[ hototogisu ]の作者である、
徳冨蘆花 」氏【 満58歳没 】がYAHOO!で検索されまくって居る様なのだが、これに関連したコンテンツ( 情報の中身 )がウィキ情報くらいしか見当たらないので記事を作成した。

ちなみに徳冨蘆花[ とみとくろか ]氏の本名は「 徳富健次郎 」であるが、作者名の方の冨は宀( うかんむり )では無い。

徳冨蘆花氏は明治から昭和初期に於いて活躍した男性小説家であり、「 蘆花 」の由来は次に引用する。

( 以下「 Wikipedia 」から引用 )↓

「『 蘆の花は見所とてもなく 』と清少納言は書きぬ。然も、その見所なきを余は却って愛するなり。」

( 引用ココまで )↑

「 清少納言は蘆( あし )の花は見所が無いと
書いたが私は逆に愛しく思える 」と主張されている様で、
ここから自らの号を蘆花と名付けたのだと考えられる。

ちなみに蘆の花は華やかな花の形ではなく、
一見するとススキに似ているので何で、
これが「 花 」なのかと不思議に思ってしまった。

hototogisu

そんな徳冨蘆花氏が執筆した小説「 不如帰 」が
國民新聞に掲載されたのが明治時代の後期であり、
TOP画像に挿入したテキストは当時、日本近代文学を
象徴する流行語にも、なったようである。

Hototogisu first edition cover cropped.jpg

この小説の詳細は次章以降に述べるが、ざっくり説明させて頂くと「 ヒロインの浪子が幸福な結婚生活を送っていたが不幸にも肺結核を患い、ご主人が戦争に行っている間に、冷淡な継母に拠って離婚させられる悲哀を描いた 」明治時代当時の閉鎖的な家族制度や社会の旧弊( 古いしきたりの弊害 )を暴き出すのが徳冨氏の真の狙いだった様だ。

当時、この小説はベストセラーになったが実は主人公の浪子にはモデルになったとされる実在の人物が居たのである。

浪子のモデルは大山信子氏[ hototogisu ]

 作家で小説家の徳冨氏が自著「 不如帰 」の
作品の、あらすじで悲劇のヒロイン浪子のモデルは
「 大山信子 」氏【 満20歳没 】であり彼女は、
あの陸軍大将にして元帥だった「 大山巌 」氏
【 公爵:満74歳没 】の前妻の長女であった。

ちなみに大山氏は、かなりの名士で有り
他にも大警視、陸軍大臣、陸軍参謀総長、
臨時の文部大臣、内大臣、元老、貴族院議員
なども歴任されている。

hototogisu

大山巌氏の前妻は「 吉井沢子 」氏【 満23歳没 】
であり、伯爵で薩摩藩士だった吉井友実氏
【 満63歳没 】の長女であったが、病気を患い
23歳の若さで早世している。

巌氏の長女、大山信子氏は16歳の若さで
これまた不如帰のあらすじの登場人物、川島武夫の
モデルとなった「 三島彌太郎 」氏【 子爵:満51歳没 】
と結婚して嫁( とつ )がれている。

信子氏は1893年に三島氏と結婚後、
不幸にも肺結核を患い、わずか2年後の1895年に
離婚させられているのは小説では無く実話だ。

その離婚理由が当時、不治の病だったとされる
肺結核を発病したからあであり、妻であった信子氏を
邪魔者扱いし「 一方的に三行半( 離婚願い )を突きつけて
実家に送り返した 」のが実情だとされる。

実際に、その様な冷淡な仕打ちを断行したのが
夫であった三島彌太郎氏と、その母であるという。

この事を知った大山捨松氏の友達の
津田梅子氏は激怒し、嫁ぎ先の三島家に
直接、猛抗議しに行っている。

Sutematsu, Alice, Ukeko, Shigeko.jpg

「 旧友との再開 」と銘打った、この写真は
向かって右から大山捨松氏、瓜生氏、
アリス・ベーコン氏、左端が津田梅子氏。

実家に追い返されてからも療養していた信子氏は
不幸にも1896年に20歳の若さで早世している。

信子氏と離婚後、三島彌太郎氏は四条家
( 京都府 )の侯爵「 四条隆謌 」の娘
「 四条加根子 」氏と再婚している。

何を隠そう、上記の「 大山信子 」氏こそ
あの「 不如帰 」の、あらすじの主人公にして
悲劇のヒロイン、「 浪子 」のモデル
になった
人物だったのである!

hototogisu

黒田清輝「 不如帰口絵 」国立国会図書館
デジタルコレクションから転載( 保護期間満了 )

三島氏は第8代の日本銀行総裁でありながらも
貴族院議員も歴任したツワモノだったが、
急病を患い51歳の若さで逝去している。

その三島夫妻をモデルにした小説「 不如帰 」を
国民新聞に掲載する形で徳冨氏が上梓
( 図書を出版すること )したのが1898年の
明治31年からであったが、ここで有る「 1つの問題 」が
生じる事となったのである。

大山巌氏が信子氏、芙蓉子氏、留子氏を含む
3人の連れ子を携えて再婚し後妻が当時、
予想だにしない騒動に巻き込まれる破目になった
大山捨松 」氏( 旧姓:山川 )【 満58歳没 】
その人であった。

その騒動とは、有りもしない風評被害で
大山捨松氏は世間から一大バッシングを
浴びるハメに陥ってしまったのだが、その根本的な原因が
小説「 不如帰 」に掲載された、あらすじに
起因していたの
であるっ!

もともと小説などは作り話を前提とした
創作で有るにも関わらず、登場人物の
モデルに、されてしまった事で世間から
あらぬ誤解を招く事になってしまったのである。

この事は次章以降で詳しく述べるが、
戦後になってからトリプシンや
ストレプトマイシン( 1944年に発見された )
あるいはイソニコチン酸ヒドラジッドなどの
抗結核薬が開発されるまでは、肺結核は不治の病だとされて来た。

この事と、当時の封建制度的な時代背景が相まって、信子氏は実家である大山巌、捨松夫妻の元へと追い返されたのが実際のところではないか?と言われている。

不肖この私めは、その時代に生きて実際に、この目で確認したわけでもないが捨松氏は不如帰で描かれた継母とは全く正反対の優しい人柄で、病気に拠って追い返されてきた不憫な信子氏に対して甲種( 上級 )看護婦の資格を持っていた捨松氏自身、熱心に看病しつつも夫である巌氏と3人で関西旅行まで、しているのである。

捨松氏が被った事実無根の風評被害とは

 まずは当時のベストセラー小説「 不如帰 」の大まかな、あらすじをお伝えしたい。

小説の舞台に、なったのは今の神奈川県逗子市。

hototogisu

前手の登場人物、夫である川島武夫が遠戦して家を留守にしている間に、妻の浪子が肺結核を患い、それが基で冷たい姑に離婚をさせられた挙句、そこを追い出されて実家に送り返されてしまう。

で、ここからの内容が問題の箇所なのだが実家に送り返されてきた浪子を疎ましく思う「 薄情な継母 」に拠って、ないがしろにされつつも父が作ってくれた離れで寂しく短い生涯を終える、とするあらすじである。

この薄情な継母とされるモデルが、大山捨松氏だと
世間一般の人たちに誤解を与えてしまった原因が
「 不如帰 」という小説の、あらすじに拠る
世間への凄まじい影響力
なのであった。

( 以下「 Wikipedia 」から引用 )↓

 ところが、この小説に描かれた冷淡な継母が
捨松の実像と信じた読者の中には彼女に
嫌悪感を抱く者が多く、誹謗中傷の言葉を連ねた
匿名の投書を受け取ることすらあった。

捨松は晩年まで、そうした風評に悩んでいたという。

( 引用ココまで )↑

前章でも、お伝えした通り実際の捨松自身は
小説のモデルとは真逆であり、嫁ぎ先の理不尽な仕打ちに
心を痛めて離れを建てさせたのも捨松氏自身だし、
懸命な看護を行いつつ愛情を注いでいた
心優しき継母だったのである。

これは、今のインターネット上での
情報発信と相通ずる部分が有り、不肖この私め自身が
身の引き締まる思いであるが問題点は2つ有る様に思う。

1つ目は無論、小説とは言え「 これは架空の物語なので、
登場人物と実際の人物には何の関係もございません 」
という但し書きを、したのかどうか迄は分からないが
この様な影響が起きることを予め想定して
対策を講じずに新聞などに掲載してしまった
作者の徳富蘆花氏と出版社側の責任。

2つ目は、この小説がフィクション
( 想像に拠って作られた創作、虚構 )に拠る、
あらすじだと把握せずにバッシング活動を
展開してしまった世論の人々。

これら2つの要因が重なってしまい
不幸にも捨松氏側が身に覚えのない風評被害を
被る結果に、なってしまったのではなかろうか。

ウィキ情報では捨松氏自身は、
かなりの人格者で有ったらしく、実際に大山氏の前妻
信子氏との間に設けた3人の連れ子達からも、
「 ママちゃん♪ 」と呼ばれ慕われていたという。

小説を世に出してから19年後に公に謝罪

では小説とは言え、なぜ継母を悪役に
仕立て上げる必要が有ったのであろうか?

その理由を、当時の婦人雑誌( 今で言う女性週刊誌 )
に掲載されている様なので、再びシェア。

( 以下「 ウィキペディア 」から引用 )↓

「『 不如歸 』の小說は姑と繼母を惡者にしなければ、
人の涙を、そゝることが出來ぬから誇張して書いてある 」

( 引用ココまで )↑

つまりは「 盛った 」という事であろう。

これは何も今に始まったことではなく
内容は、よりエスカレートさせて盛ることで
人々の耳目を集められるのは今も
100年以上前の昔も変わらないという事であろう。

作者の徳冨氏が自身の小説のモデルと
したことで、あらぬバッシングの被害に遭ってしまった
大山捨松氏に正式に謝罪をしたのは
不如帰を発表してから実に19年後であった。

謝罪が遅れたことにも詫びを入れたのだが、
その時のコメントが「 お気の毒に耐えない 」
との記述であった。

よく週刊誌の記事に例えて「 有ること無いこと書かれる 」などと言われるが、それは今から100年以上前の明治の時代でも同じであったとは、深く考えさせられる出来事だった。

会津藩の捨松氏と薩摩藩士の大山氏

 ちょっと話しが「 不如帰 」から横道に
逸れるかもだが、この小説で「 薄情な継母 」の
モデルにされて、あらぬ風評被害を被った
大山捨松氏と、その夫である大山巌氏の
馴れ初めなど♪

結論から記すなれば、元は外様大名の
薩摩藩士であった大山氏と、父は譜代大名( 親藩 )
である会津藩の国家老・山川尚江重固氏の
末娘である捨松氏は、どう考えても
仇敵同士、因縁の間柄である。

会津藩の最後の藩主、松平容保は
朝廷を警護する京都守護職を務めた後、
会津戦争などにも巻き込まれたが、8歳の時に
捨松氏自身も会津若松場内で、撃ち込まれた
大砲の玉に布団を、かぶせて行う
「 焼き玉抑え 」で銃後を努めていた。

hototogisu

実は、その会津戦争で大砲を
お城に撃ち込んでいたのが砲兵隊長の
大山巌氏その人で有ったのだ!

そんな大山氏が先妻沢子氏を
病気で亡くした後、先妻の父であった
吉井友実氏の計らいで後妻となる
捨松氏に、ひきあわせる様に知り合いの
結婚式に出席させた。

そこで大山氏が一目惚れしたのが、
西洋スタイルで着飾った
後妻の捨松氏だったのである。

そのあと大山氏は、すぐに捨松氏本人ではなく
相手側の山川家に縁談の話しを働きかけるも、
当初は捨松氏の会津側である山川家では
仇敵からの縁談の申込みを一蹴したとされる。

だが、巌氏側の懸命な説得が功を奏し
徐々に山川家の態度が柔らかくなり、
最終的に「 捨松氏本人の判断に任せる 」と
いったところまで落とし込むことに成功。

しかし次の壁は捨松氏自身の返事で有るが
「 巌氏が、どんな方か知らないのに返事は出来ない 」
としたが、捨松氏からデートを提案してきたので、大山氏もこれに応じた。

hototogisu

ここは非常に重要で、デートを提案される
ということは「 脈あり 」の決定的なサインである。

さらに話しが一瞬、逸れるかもだが、ここでもしコチラ側から食事等を申し込んでも、剣もホロロに3回連続で断られたら脈なしと判断して良い。

営業セールスの世界に例えるなら「 断りだけの客 」であって見込みは限りなく薄い。[ hototogisu ]

結果的にデートを重ねる度に大山氏の寛大な人柄に魅了された捨松氏は後に求婚を受けるのであるが、その後1883年に鹿鳴館で盛大な結婚式を上げている。

まさか、この後あがない難い運命の渦に巻き込まれるなどとは夢にも思わなかったであろう捨松氏だと思われるが「 ペンは剣よりも強し 」というイギリスの名言は、まさにマスメディアの強大な影響力を指して言っているのだとする典型的な例だと感じた。

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