【豪農・坂野毛住宅の歴史】茨城県常総市の観光名所に行った感想

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【豪農・坂野毛住宅の歴史】茨城県常総市の観光名所に行った感想

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あなたは「 茨城県の観光名所 」と言えば、どの場所を連想されるであろうか?

やはり牛久大仏や筑波山、アクアワールド茨城県大洗水族館や水戸の偕楽園を思い出されるのであろうか?

上記のメジャーな観光名所も良いのだが、今日は観光スポットサイト「 じゃらん 」の茨城県ランキングでも圏外にランクしている、
水海道風土博物館「 坂野家住宅 」を、ご紹介させて頂きたいのだ♪^^

茨城県常総市大生郷町の坂野家住宅[ sakanoke ]

1968年【 昭和43年 】にTOP画像の主屋( おもや )と表門( 薬医門 )の2棟が国指定重要文化財に指定された豪農・坂野家住宅。


あの山口百恵氏もTVドラマの撮影で使用♪

のちほど詳しく述べるが茨城県の観光名所、坂野家住宅の本体主屋が建造されたのは18世紀の初め頃で有るとされ常総市大生郷町( 当時は岡田郡菅原村 )に土着してから500年の歳月が経っていると言われている。

1998年【 平成10年 】に当時の坂野家の当主から建物と敷地が、常総市へ寄贈され今は水海道風土博物館として市が運営している。

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確かに、袋田の滝などと比べらると地味~でマイナーな観光地では有るが、天保年間( 1830年~1843年 )には「 二宮金次郎 」( 金治郎:尊徳 )氏【 満69歳没 】が荒地再興の農業指導の為に逗留( とうりゅう )された。

また、幕末から明治にかけて活躍した政治家の「 山岡鉄舟 」氏【 満51歳没 】が書かれた掛け軸が飾られていたりと、かなりの見どころが有る茨城県の隠れ家的な観光名所だと自負する。( 自画自賛? )

また改装前には、あの伝説的な大スター「 山口百恵 」氏【 58 】主演のTVドラマの撮影にも使われたのは、あまり知られていないが「 野菊の墓 」の聖地巡礼でも有る。( 原作の設定は千葉県松戸市の矢切の渡し )

  • 茨城県の隠れ家的な坂野家住宅
  • 入館料は、たったの300円でOK
  • 圏央道の常総ICから車で10分
  • 山口百恵氏主演ドラマの聖地巡礼
  • 二宮金次郎も農業指導で訪れた
  • 山岡鉄舟書の掛け軸が見れる
  • 車50台ほどの駐車スペースあり
  • 10月8日には無料観覧のイベント

不肖この私めは茨城県常総市の出身では無い物の、いまでは地元市民なので昨年の3月23日に実際に坂野家住宅に観光に行ってきた次第♪^^

次章では、そんな観光名所を交えつつも豊富な画像とVine動画で坂野家住宅の魅力を余すこと無く、あなたに御伝えして参る所存。

実際に坂野家住宅を見学するまで

 それでは、これよりあなたを「 坂野家住宅 」の楽しい旅の世界へ、いざなうとしよう♪^^

地元では「 だいじん屋敷 」と呼ばれているらしい、この観光名所は今年の2月26日に新たに開通した圏央道の常総インターチェンジから車で10分ほどの場所にある。↓

場所は茨城県常総市大生郷町2037番地。【 合併前は旧水海道市 】

駐車場も完備されており、ざっと見た限りでは50台くらいは余裕で停められるスペースは有った様に思うが、満車になった時を見たことがない。( 1回しか行ってないが )

入館料は、あとで詳しく述べるが大人1人で300円で見学できる、リーズナブルな価格設定が財布に優しい。

まずは車を停めたら、下り坂を下る感じで坂野家住宅の表門へと進む。

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竹やぶは、坂野家の土塁の白い塀の周りに生い茂っており、涼しさを誘うのみでなく坂野家の持つ豪農屋敷の重厚感をより一層、引き立たせている。

TOP画像の表門は「 薬医門 」と呼ばれ、本来は武家屋敷にしか設ける事が許されないもので当時の坂野家の格式の高さが偲ばれる。

石畳を歩きながら広い中庭を抜けると主屋に着き、建物への入り口が受付けとなっている。

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坂野家住宅の入館の受付は気立ての良い年配の男性が対応して下さった。(^o^)

入館料の300円を支払うと、見学の前に土間に設置してある大型モニターで坂野家住宅に関する20分位のDVD映像を見せて頂けるが内容は良く覚えていない。( 笑 )

坂野家住宅のDVDビデオが見終わったら早速、土間から観光めぐりを開始する。

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総茅葺き平屋建ての主屋めぐりから

坂野家住宅の受付をして頂いた
主屋の土間から、茶の間の囲炉裏
1階の座敷の居間、そして主屋西側に位置する
書院「 月波楼 」の1階と2階を順次
見ていく事にしよう。

観光名所の坂野家住宅の
主屋の建坪面積は約120坪。

土間には今で言う台所が有るが
当然、今風のしゃれたシステムキッチン
なんてものは有ろう筈もない。( 笑 )

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土間に有るのは「 かまど 」( 竈 )で、
薪や粗朶( えだ )を燃料にして燃やし、
煮炊きする炊事場で「 へっつい 」とも言う。

上がり框を越えて土間部から茶の間である
囲炉裏に上がると、家人が日常生活の場として
使っていた14畳の板敷きの部屋で、中央には
掘りごたつが設けられていたという。

今現在も板敷きになっている茶の間の、
柱や敷居には煤( すす )が残っていたことから
以前も囲炉裏が敷板であったと考えられる。

1864年【 文久4年 】の家相図からも、
囲炉裏が切られていたことが判明したので、
これに倣って忠実に復元工事が施された。

茶の間の南西側には和室の広間が設けられ
さらに、その南側の内玄関との間には
「 無双連子 」( むそうれんじ )と呼ばれる
「 蔀戸 」( しとみど )が設けられ、
この上に欄間( らんま )が設けられている。

蔀戸( れんじ )と呼ばれる、その構造は
薄い木の壁全体が上に跳ね上げて
固定できる様に造られていて、
四季折々の採光や風通しに適した工夫で
設計されているが、真冬に全開にされると
いかにも寒そうな感じを受けるなぁ。

その奥には南側から( マップ上では南西 )
順に一の間、二の間、三の間、仏間、納戸と連なり
土間から入る玄関とは別に、これらの
座敷部に直接出入りすることが出来る
「 主屋玄関 」が備えられている。

この座敷部の式台を持つ主屋玄関は
当時の幕府から派遣されてくる役人用に
備えたもので、当主ですら普段の使用は
控えていたのだとか。

冒頭に貼ったYouTube動画にも有るように
一の間と二の間の境で区切る、ふすまの鴨居の
上に設けられた欄間には菊の透かし彫りが
施されているが、恐れ多いと畏怖したためか
坂野家の家紋である蔦( つた:宿り木の意 )
で覆い隠してあるのだという。

言わずもがな菊の家紋は十六八重表菊と
呼ばれる皇室の紋が代表的だ。

この蔀戸と欄間に拠る立面意匠は
茨城県の、この地方ではあまり例を見ない。

主屋の中心となる居室部は18世紀初めに
造られた大型住居としては大変、珍しいもので
19世紀になって接客用に増設された座敷部と共に
数少ない遺例として貴重である。

sakanoke

居室部は建築当初から設けられていた
和室だが、四間取り
( よまどり:田の字の様にに部屋が並ぶ形 )
と呼ばれる現在の居室の配置は建築後、
しばらくしてから改築で、今の形に
変わったものだろうと思われる。

先程、茶の間の隣の広間は14畳だと
綴ったが、実は中間に板戸を設けて
東西を8畳と6畳の2間に区切れるように
設計されている。

この他、農民の生活スペースである部屋と
武士層の接客スペースには異なる様式で
造られていた。

使用人が使う部屋には縁( ふち )の無い
琉球畳や帯戸などを用いたが、武士層の接客スペースには
畳縁の有る備後畳や襖、障子を用いるなど
格式の違いを表している。

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モダンな近代和風建築の書院・月波楼

 茨城県の隠れた観光名所、坂野家住宅の主屋から渡り廊下で西側に続く( 正確には南西方向 )木造瓦葺き2階建ての建造物は「 月波楼 」と、呼ばれる書院である。

建坪面積約55坪の書院・月波楼は
大正モダンとも言うべき近代和風建築としても
価値が高いが、坂野家の主屋と
同時に建てられたわけではない。

大正ロマンを彷彿とさせる
月波楼内部の造りは時を経た今でも
観光名所として高評価を得ている。

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この書院・月波楼も1998年【 平成10年 】に
行われた半解体の改修工事で建て替えられているが、
その時に発見された棟札から1920年【 大正9年 】に
大口村【 現:茨城県坂東市大口 】の
棟梁の手によって改築されたことが判明した。

1998年に行われた改修工事を含め、
1920年に改築された現在の月波楼は2代目である。

初代の月波楼が建築されたのは江戸末期であり、
実際に1892年【 明治25年 】に発刊された
「 大日本博覧図 」の銅版画の左側にも
しっかりと、その姿が刻まれている。↓

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版画に刻まれた「 岡田郡菅原村 」の表記は、
1889年【 明治22年 】に、それまで大生郷村だった
当地が町村制の施行に拠り周辺の村と合併したため、
この様な地名に、変更されている。

幕末の11代当主「 坂野耕雨 」氏と
明治期に掛けての12代当主の「 坂野行斎 」氏は
特に文人として名高く、そのもとに茨城県の
近隣は、もとより遠く江戸からも多くの
文人墨客が集まり、活発な交流や創作活動が行われた。

坂野行斎が明治期に残した遺作「 月波楼遺稿 」や
大正9年の改築後も中村不折の扁額「 月波楼 」や
梁川星巌の「 星巌先生月波楼誌 」など、
数多くの名作が生み出された場所である。

月波楼の南北廊下のガラス戸や
タイル張りの風呂などを見ると、
主屋の伝統的な和風建築とは一味違った
モダンな雰囲気を醸し出している。

上に貼ったVine動画は、月波楼の
1階の廊下部分だが、次の映像のレトロな掛け時計も
大正ロマンとモダニズムを感じさせる。↓

1階部分の一番奥【 西南 】の座敷の
床の間に飾られた掛け軸は何と!あの幕末の三舟の1人で
検・禅・書の達人で知られる山岡鉄舟氏の書
「 園林幽雅己成趣朝市紛華豈到心 」である!

学のない不肖この私めは意味を探ろうとググったのだが出てこなかったので、どなたか鉄舟氏の掛け軸の書の意味が分かる方は教えて下さい。m(_ _)m

それでは月波楼の2階部分へ階段で上がってみよう。(^o^)

当時の文人達は月波楼の2階窓から、外の景色を見て創作活動に打ち込まれていたので有ろうか?

…ここで、なんか面白いなと思うのは農業従事者としての建屋と文化人の交流の場でもある書院が1つに繋がっているというのが、個人的には「 不思議じゃね? 」という印象を拭えないのである、が。(^_^;)

こうして瓦版茨城の記事を打って( 書いて )いて、ふと思ったのが「 あれ?このブログ記事作成と投稿も文化活動だよなぁ… 」とヒシヒシと感じた。

当時、月波楼で活躍された文人が現代にやってきて、ブログ記事を投稿された日には果たして太刀打ちできるのだろうか?( 汗 )

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坂野家住宅の敷地外の散策を楽しむ

 冒頭でも、お伝えしたが茨城県の隠れ家的な観光名所、坂野家住宅の敷地外も立派な竹やぶが生い茂り、ゆったりとした気分で散歩を楽しめる。

坂野家住宅の広さは1ヘクタール【 ha 】で約3千坪に及ぶ広大な台地全面を敷地とし正面南に表門( 薬医門 )と土塁の塀を回している。

この竹やぶの道が坂野家住宅の敷地内に該当するのかどうかは、良くわからないが1haが、どれくらいの大きさなのかをざっくりと、ご説明させて頂くなれば「 だいたい東京駅前にある丸ビルの敷地と同じくらい 」といった所か。

ちなみに甲子園球場の大きさが1.3haくらいだと言われている。

坂野家住宅の敷地外には竹やぶのみではなく、見学した昨年の春には桜が満開であった。

また時期的に鶯( ウグイス )も鳴いていたので観光名所としては情旅溢れる場所なのではなかろうか。

山口百恵氏主演の『 野菊の墓 』の聖地巡礼

 冒頭でも軽く触れたが、茨城県の隠れた観光名所
「 坂野家住宅 」は改装前にもTVドラマの
撮影で使われていたのを、あなたは御存知だろうか?

これは実際に坂野家住宅に行って
見学しないと、知り得ない事実であった。

誤解の無き様、補足しておくが1959年に日テレから放送が始まった「 野菊の墓 」のTVドラマの主演は山口百恵氏だけではないし、映画版の主演は「 松田聖子 」氏【 55 】である。

山口氏が主演を務められた「 野菊の墓 」は
1977年放送のテレビ朝日の土曜ワイド劇場という番組で放送されたのだが、
当時のロケ地に、ここ茨城県の隠れた観光名所、坂野家住宅が使われたのであった。

ちなみに「 野菊の墓 」の原作者は
明治時代の小説家、故「 伊藤左千夫 」氏
【 満48歳没 】が1906年1月に雑誌
「 不如帰 」に発表した最初の作品で
故「 夏目漱石 」氏【 満49歳没 】が
絶賛したと言われている。

もともと、野菊の墓の物語の
土地の設定は前述した通り、
千葉県松戸市の矢切の渡し付近である。

野菊の墓のストーリーは、
ウィキペディアによれば、以下の通り。

( 以下「 Wikipedia 」から引用 )↓

15歳の少年・斎藤政夫( 佐久田修:脩59 )と
2歳年上の従姉・民子( 山口百恵 )との淡い恋を描く。

( 引用ココまで )↑

補足すると病弱の母きく
(「 故・南田洋子 」氏【 満76歳没 】)の
面倒を見るために従姉弟が集まって、
そこでの恋愛ドラマが始まる、と
言った感じのストーリー。( 観てないです… )

監督は故「 西河克己 」氏【 満91歳没 】
だったが、このドラマの撮影場所に選ばれたのが
茨城県常総市の大生郷町( 以前は大生郷村 )の
坂野家住宅だったのは、物語のイメージと
ピッタリ一致したからなのでは無かろうか?

坂野家住宅の過去の知られざる歴史

 本当は“黒歴史”とかいう釣りタイトルを
入れれば滞在時間も伸びるのかもだが
全く事件などの話しは聞かない。

もともとは茨城懸の岡田郡菅原村だった
隠れた観光名所?となった坂野家住宅は、
この地方の惣名主的な存在で江戸時代の当主、
坂埜伊左衛門 」氏は「 伊左衛門どん 」
と呼ばれ、親しまれてきたのだそう。

これだけの豪農に成り上がったキッカケは
幕府から命じられた新田開発の、
開拓事業の責任者に任命された事に拠る。

坂野家が豪農としての基礎を固めたのは
江戸時代中期に行われた飯沼の
新田開発の時で、3,000町歩( 30キロ平米 )
にも及ぶ大事業の責任者の1人である
「 頭取 」に幕府から任命された後、
米の生産拡大に向け尽力した事で財を成した。

その後、昭和に入って1933年【 昭和8年 】の記録に拠れば、当時の農業規模が
小作米で1,300俵、小麦が600俵の収穫量が有り、7人もの使用人を抱える大農家で有ったと記されている。

今で言えば国から直接、委託を受けて大事業を完遂させた事で財を成し得た、と言ったところだろうか。

1998年に坂野家住宅の屋敷地を譲り受けた茨城県常総市は銅版画の原型に極めて近い形で復元し、平成13年4月に一般開放を始めた。

だが主屋の老朽化が激しく、その後に国と茨城県の補助を受ける形で平成15年1月から平成17年12月までの間に解体してから組み直す修繕保存工事が行われ、ほぼ原型に近い形が復元された。

ちなみに予算は、いくら位の税金を投入されたのであろうか?

坂野家住宅の修繕工事費に関する資料は見当たらなかったが、維持管理費用に関するPDF資料が見つかったので次章で年間来場者数と共に、シェアさせて頂こう。

2014年度の坂野家住宅・運営管理経費は?

 隠れた観光名所であろう坂野家住宅の
運営管理経費は所有者である茨城県常総市が
2012年度から2014年度までの3年間分のデータを
PDFファイルに、まとめて公開されている。↓

ざっと見ていくと、平成24年から26年までの
3年間で年間、約900万円から1,500万円の
運営維持のための管理経費が掛かっている。

これに対して年間の来場者数は3年間で毎年、
9,000人から1万1,000人であり、目標達成率が
89.9%と記載されているので1万人を目安に、
運営されていらっしゃるのだろう。

これが利益追求の民間企業だったら
修繕工事費を差し引くと大赤字である。

だが、そこは市が税金で運営している事による
不動の安定感と、儲けを優先させない貴重な
重要文化財を開放して下さっているのだから、
どしどし利用すべきなのだ。

茨城県民のみでなく今や圏央道が、つながって
常総ICから車で10分程度で来れるので、県外の方も
ウェルカム!なのである。

来館の仕方や入館料、営業時間などは
次章で詳しく述べるので。

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隠れ家的な坂野家住宅に行ってみっぺよ♪

 茨城県の隠れ家的な観光名所である
( と信じている )坂野家住宅[ sakanoke ]の
詳細は、運営管理元の常総市の
ホームページで確認できる。↓

入館料は前述した通り、一般の大人が300円だが
小中高生は100円でO.Kだ。

他にも団体割引や、貸し切りなどの利用料金も
別途、記載されているので詳しくは
上に貼ったURLリンクから。
( 本音は、めんどくせーから、
いちいちココには書かない )

道順は、電車で来られる方は関東鉄道常総線の
三妻駅( 無人 )から歩いて来れなくもないが
距離的に、ちょっと遠いかも…

200メートルくらいの場所にタクシー会社も
有るので利用される方は、そちらまで。

関東鉄道常総線へはTXつくばエクスプレスの
守谷駅で乗り換えとなる。

また、東京駅の八重洲南口の
バス停からも高速バスが出ているとのこと。

入館できる営業時間も、さらっと引用しておこう。↓

( 以下「 茨城県常総市HP 」から引用 )↓

[ 入館時間 ]
午前9時~午後5時( 4月~10月 )午後6時閉館
午前9時~午後4時( 11月~3月 )午後5時閉館

( 引用ココまで )↑

それと朗報が有るっ!(^o^)

今から約1ヶ月後にイベントが予定されており、
JILLTONEによる演奏会で
「 第9回坂野家住宅お月見と音楽のつどい 」
の催しが行われる予定だ♪^^

イベントの開催日時は2017年10月8日【 日 】の
PM18:30開場で嬉しい事に観覧無料だ。

開催日当日は同時に竹林のライトアップも
予定されているのだそう。

注意点としては、午後の6時半以降が
入場無料なので、それ以前に行くと入館料は
取られる様なので、あしからず。
( 当日は準備のため午後5時で一時閉館の予定 )

茨城県内の圏央道が繋がる以前は
車で来ようにも、かなり面倒くさい場所にある
隠れた観光名所の坂野家住宅[ sakanoke ]
だったが、いまや常総ICから車で
往復20分くらいの近い位置にある。↓

ほとんど圏央道のサービスエリアを
利用するのと変わらない感覚で、坂野家住宅が
見学できるのだから是非、ご来館いただければと思う。

あなたが、ご不明に感じた点など有った時に当「 茨城瓦版 」にコメントされても詳細は分かりかねるので、上のURLリンクから飛んでいただいた常総市のHP内に電話番号が記載されているので、そこにお問い合わせを頂けると幸いである。( 丸投げかっ! )

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“【豪農・坂野毛住宅の歴史】茨城県常総市の観光名所に行った感想” への2件のフィードバック

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