全日本女子バレーのキャプテン歴代で1960年からの一覧表示

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全日本女子バレーのキャプテン歴代で1960年からの一覧表示

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2018年の全日本女子のキャプテンは、岩坂名奈選手【 28:久光製薬スプリングス 】だが?

全日本女子の歴代キャプテンで1960年から一覧表示

 テレビ番組の生放送中に、陽気にキャピキャピはしゃぐ女子日本代表選手たちを「 ◯メ◯ら、この◯郎!! 」と一喝した、全日本女子監督の中田久美氏【 53 】から直々にキャプテンに指名されたのが、岩坂名奈選手だ。

つまり、2018女子バレーボール世界選手権の全日本代表キャプテンということになる。

では、バレーボールの全日本女子代表の歴代キャプテンと歴代監督を以下に一覧表示するが、バレーボールアジア選手権の記録は記載していないので念のため。↓

バレーボールの全日本女子の歴代キャプテンと歴代監督の一覧
西暦年と大会名:順位 キャプテンの名前 年齢 所属チーム( 主将当時 ) 監督 年齢
1960年:リオデジャネイロ世界選手権・銀 堀江方子:ほりえまさこ 享年83 中村クラブ 前田豊:まえだゆたか 享年81
1962年:モスクワ世界選手権・東洋の魔女・金 河西昌枝:かさいまさえ( 現・中村 ) 享年80 日紡:現ユニチカ 大松博文:だいまつ ひろふみ 享年57
1964年:東京オリンピック・東洋の魔女・金 同上 同上 同上 監督:大松博文・総監督:前田豊
1967年:日本世界選手権・金 吉田節子:よしだせつこ 享年71 鐘紡四日市/全鐘紡:現カネボウ 船山浩志:ふなやまひろし( 総監督: 前田豊 ) 享年81
1968年:メキシコシティオリンピック・銀 同上 同上 同上 山田重雄:やまだしげお 享年66
1970年:ブルガリア世界選手権・銀 松村勝美:まつむらかつみ( 現:千葉 ) 74 ニチボー貝塚/ユニチカ貝塚:現ユニチカ・フェニックス 小島孝治:こじまこうじ 享年83
1972年:ミュンヘンオリンピック・銀 同上 同上 同上 同上 同上
1973年:ウルグアイ・ワールドカップ・銀 飯田高子:いいだたかこ( 現:神白 ) 72 ヤシカ 船山浩志( 再 ) 享年81
1974年:メキシコ日本世界選手権・新東洋の魔女・金 同上 同上 同上 山田重雄( 再 ) 享年66
1976年:モントリオールオリンピック・新東洋の魔女・金 同上 同上 同上 同上 同上
1977年:日本ワールドカップ・新東洋の魔女・金 前田悦智子:まえだえちこ 66 三洋電機 同上 同上
1978年:旧ソ連世界選手権・新東洋の魔女・銀 矢野広美:やのひろみ( 現:池田 ) 63 日立武蔵:現日立ベルフィーユ 同上 同上
1980年:モスクワオリンピック( 日本は出場辞退 ) 横山樹理:よこやまじゅり( 本名:西川 ) 63 ユニチカ:現ユニチカ・フェニックス 小島孝治 享年83
1981年:日本ワールドカップ・銀 同上 同上 同上 同上 同上
1982年:ペルー世界選手権・4位 小川かず子:おがわかずこ 61 ユニチカ:現ユニチカ・フェニックス 同上 同上
1984年:ロサンゼルスオリンピック・銅 江上由美:えがみゆみ( 現:丸山 ) 60 日立:現日立ベルフィーユ 米田一典:よねだかずのり 享年61
1985年:日本ワールドカップ・4位 石田京子:いしだきょうこ( 現:野口 ) 58 日立:現日立ベルフィーユ 小島孝治( 再 ) 享年83
1986年:チェコスロバキア世界選手権・7位 中田久美:なかだくみ 53 日立:現日立ベルフィーユ 同上 同上
1988年:ソウルオリンピック・4位 丸山由美( 再 )まるやまゆみ( 現:江上 ) 60 日立:現日立ベルフィーユ 山田重雄( 再 ) 享年66
1989年:日本ワールドカップ・4位 佐藤伊知子:さとういちこ 53 日本電気:現NECレッドロケッツ 宗内徳行:むねうちのりゆき 87
1990年:中国・北京世界選手権・8位 同上 同上 同上 米田一典 享年61
1991年:日本ワールドカップ・7位 同上 同上 同上 監督:米田一典( 再 )・総監督:小島孝治( 再 )
1992年:バルセロナオリンピック・5位 同上 同上 同上 米田一典( 再 )
1993年:日本ワールドグランドチャンピオンズカップ・4位 中西千枝子:なかにしちえこ 52 ユニチカ:現ユニチカ・フェニックス 同上
1994年:ブラジル世界選手権・7位 大林素子:おおばやしもとこ 51 日立:現日立ベルフィーユ 横田忠義:よこたただよし 71
1995年:日本ワールドカップ・6位 中西千枝子( 再 ) 小島孝治( 再 )
1996年:アトランタオリンピック・9位 同上 同上 同上 吉田国昭:よしだくにあき 73
1997年:日本ワールドグランドチャンピオンズカップ・5位 多治見麻子:たじみ あさこ 46 日立:現日立ベルフィーユ( 現トヨタ車体クインシーズ監督 ) 葛和伸元:くずわ のぶちか 63
1998年:日本世界選手権・8位 同上 同上 同上 同上 同上
1999年:日本ワールドカップ・6位 同上 同上 同上 同上 同上
2000年:シドニーオリンピック最終予選( 予選敗退 ) 江藤直美:えとうなおみ 46 日立:現日立ベルフィーユ 同上 同上
2001年:日本ワールドグランドチャンピオンズカップ・銅 熊前知加子:くままえ ちかこ 44 ユニチカ:現ユニチカ・フェニックス 吉川正博:よしかわ まさひろ 55
2002年:ドイツ世界選手権・13位 高橋みゆき:たかはし みゆき 39 NECレッドロケッツ 同上 同上
2003年:日本ワールドカップ・5位 吉原知子:よしはら ともこ 48 パイオニア:現パイオニアレッドウイングス( 現JTマーヴェラス監督 ) 柳本晶一:やなぎもと しょういち 67
2004年:アテネオリンピック・5位 同上 同上 同上 同上 同上
2005年:日本ワールドグランドチャンピオンズカップ・5位 竹下佳江:たけした よしえ( 現:江草 ) 40 JTマーヴェラス( 現ヴィクトリーナ姫路監督 ) 同上 同上
2006年:日本世界選手権・6位 同上 同上 同上 同上 同上
2007年:日本ワールドカップ・7位 同上 同上 同上 同上 同上
2008年:北京オリンピック・5位 同上 同上 同上 同上 同上
2009年:日本ワールドグランドチャンピオンズカップ・4位 荒木絵里香:あらき えりか 34 現トヨタ車体クインシーズ 眞鍋政義:まなべ まさよし 55
2010年:日本世界選手権・銅 同上 同上 同上 同上 同上
2011年:日本ワールドカップ・4位 同上 同上 同上 同上 同上
2012年:ロンドンオリンピック・銅 同上 同上 同上 同上 同上
2013年:日本ワールドグランドチャンピオンズカップ・銅 木村沙織:きむら さおり 32 トルコリーグのワクフバンク・テュルクテレコム 同上 同上
2014年:イタリア世界選手権・7位 同上 同上 同上 同上 同上
2015年:日本ワールドカップ・5位 同上 同上 同上 同上 同上
2016年:リオデジャネイロオリンピック・5位 同上 同上 同上 同上 同上
2017年:日本ワールドグランドチャンピオンズカップ・5位 岩坂名奈:いわさか なな 28 久光製薬スプリングス 中田久美:なかだ くみ 53
2018年:日本世界選手権( 開催中 ) 同上 同上 同上 同上 同上

年齢は、いずれも2018年現在を表示。

現・全日本女子監督の中田久美氏は、1980年に中学校3年で全日本代表メンバーに選出されている逸材であった。

中田監督は1986年にチェコスロバキア世界選手権で全日本女子チームのキャプテンを務めた経験もある。

また、主将を務めた回数では竹下佳江氏、荒木絵里香選手、木村沙織氏らが最多5回の選任数を誇る全日本女子キャプテンだ。

ちなみに女子バレーボールでは、あまりにも有名な東洋の魔女という異名は、破竹の快進撃を続ける日紡貝塚女子バレーボールチームに付けられたもの。↓

しかし本稿を作成していて、歴代の全日本女子キャプテンよりも驚いたのが、故・小島孝治監督の全日本女子の監督を務められた最多で9回という回数である。

東洋の魔女と呼ばれた伝説の強豪チーム、日紡貝塚を258連勝に導いた手腕と指導力が買われたのだろうが抜擢されるには、やはりそれなりの理由があるのだ。

山田重雄監督も小島監督も招聘された回数は多いが最近では眞鍋政義監督が8回、全日本女子を統率している。

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初の世界大会の初代キャプテン堀江方子主将

 全日本女子バレーボールチームが始めて世界大会に参加したのが、1960年に行われたリオデジャネイロ世界選手権であった。

結果は銀メダルであったが、当時のキャプテンは堀江方子氏で、娘のヨーコ・ゼッターランド【 49 】( 日本名・堀江陽子 )氏はも元女子バレー選手だ。

当時のキャプテンだった堀江方子氏は、今のような企業に所属している専門チームではなく、江東区にある中村高校のOGらで作った「 中村クラブ 」でバレーボール選手としての活動を、されていた。

バレー 人生懸けた( 6 ) 」より引用↓

卒業後は、同校OGらでつくるクラブチーム「 中村クラブ 」に所属。

遠征費を知人らにカンパしてもらい、ユニホームも生地をもらってメンバーが縫い上げるなどしてやりくりした。

58年の中国遠征で全日本代表に。

後に「 東洋の魔女 」と呼ばれた全日本の主将を務めた河西昌枝がチームメートだった。

【 引用ここまで↑出典:読売新聞 】

つまり、今のような恵まれた環境での練習が出来たわけでは無かったのである。

しかも堀江選手は、全日本女子代表のキャプテンに選出されながらも、1960年のリオデジャネイロ世界選手権では出番がなかったのだという。

「 東京五輪が4年後に迫り、指導陣は”勝てる”チーム作りを優先したのだと思います 」と語っている。

現役引退後は美容師として働いたが、後の「 東洋の魔女 」と呼ばれた1964東京五輪でキャプテンを務めた河西昌枝選手もチームメイトだった。

栗原恵選手がJTマーヴェラスに入団で年収はいくらなのか?

東洋の魔女こと河西昌枝キャプテンの明言

「 これからは女としの幸福な道を歩みたいと思う 」

東洋の魔女と謳われた、1964年の東京オリンピックで見事、金メダルに輝いた全日本女子バレーボールチームのキャプテンが、河西昌枝選手であった。

東京五輪1964年の柔道で金メダルを獲ったヘーシンク選手とは

金メダルに輝いた後の明言が上記の明言で実際に、東京五輪で金メダルを取った後は女子選手たち全員が、ご結婚されている。

しかも東洋の魔女を謳われた当時の監督が、その名も恐怖の「 鬼の大松 」こと大松博文監督だ。

その記事によると、大松は日紡に入社3か月で応召され、中国各地を転々としたあと、インパール作戦に投入される。

大松少尉ら40人の部隊は、「 山を越え、食べ物はすでになく、マラリア、アミーバ赤痢で四十度の熱でぼうっとなりながら敗走 」する。

【 引用ここまで↑出典:読売新聞オンライン2016年8月4日9時58分 】

大松監督は第二次世界大戦当時、中尉としてインパール作戦に加わった『 烈 』兵団の輜重( しちょう/馬によって物資を輸送 )隊中隊長を努めた元軍人でもあった。

女子バレー 宿敵ソ連戦を明日に控え、打ち合わせをする河西昌枝主将(左)と大松博文監督(右)
1941年( 昭16 )大松博文は中国・漢口へ渡り、独立輜重(しちょう)兵第二連隊へ入隊した。
幹部候補生として55中隊へ配属されたが、大松小隊長は23歳、一番若い部下が32歳。
大半が40歳すぎの古参兵だった。
「あんな若造では」。壁越しに、先輩将校の話し声を聞いた。

【 引用ここまで↑出典:日刊スポーツ1995年4月20日0時0分 】

もはや、中田久美監督の「 テ◯◯ら、この野◯! 」の暴言も霞( かす )むほどの「 鬼の猛練習ぶり 」は、あまりにも有名だ。

だが、「 選手たちの青春を奪ってしまったことは申し訳なく思っている 」と生前に述懐されていた大松博文監督はレギュラー選手3人の仲人を務めている。

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プロ契約を求めたら解雇された大林素子キャプテン

 当「 瓦版茨城 」では、なんどもお伝えさせて頂いているとおり、不肖この私めが以前に勤めていた運送会社の大型の運転手が学生時代に全日本女子と対戦した相手チームのメンバーの中に、現役だった当時の大林素子元キャプテンが、居たという。

しかも、こちらは全員アマチュアだったとはいえ「 1点すら取ることが出来なかった 」と聞かされた。

その大林素子キャプテンが当時の日立( 現日立リヴァーレ )に所属していた当時、所属していた9人の選手たちと「 プロ選手としての契約を、してもらいたい 」と申し入れてから、約1年後に突然の解雇通知があった。

「 解職処分とする 」

手渡された紙に、そう書いてありました。

日立に所属していた1994年11月30日の昼過ぎでした。

【 引用ここまで↑出典:SANSPO.COM 】

一緒に解雇通知を送られた選手は、当時のチームメイトで2003年の全日本女子のキャプテンを務めた吉原智子氏( 現JTサンダース監督 )も。

その後も、バレーボールチーム選手としての活動は母校である八王子実践高の練習に参加したりしながら、イタリアのセリエAと契約するまでに。

栗原恵選手の現在2018年は結婚の予定は有るのか?

現在では、タレント業の他にも客員教授や日本バレーボール協会の広報委員などもされている。

年収1億円プレーヤーだった木村沙織キャプテン

 2018年現在の全日本女子のキャプテンを務める岩坂名奈選手の前の、2013年から4年間キャプテンを務めたのが、さおりんこと木村沙織選手だった。

木村沙織キャプテンは女子バレーボール選手としては破格の年俸1億円の契約を交わしていた時期がある。

ロンドンで全日本女子を28年ぶりの銅メダルに導いたエースが10月、世界最高峰のトルコリーグに挑む。

年俸は女性アスリートとしては破格の1億円。

【 引用ここまで↑出典:Sports Graphic Number Web 】

2012年当時の海外移籍先はワクフバンクで、この時の契約が年俸1億円だったと報じられている。

2016年に元ビーチバレー選手だった日高裕次郎氏【 31 】( 現パナソニック社員 )と、ご結婚され翌2017年3月22日に30歳で現役を引退している。

プエルトリコ女子バレーのキャプテンはナタリア・ヴァレンティン選手

以上が、歴代のバレーボール全日本女子のキャプテンの顔ぶれであるが、金メダルは「 新・東洋の魔女 」が活躍した1977年のワールドカップを最後に途絶えている。( アジア選手権は2007年と2017年に優勝しているが )

さて、2018年の世界選手権で全日本女子チームは見事に金メダルを取り、「 平成の東洋の魔女 」を作り上げることが出来るのかー!?[ captain ]

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“全日本女子バレーのキャプテン歴代で1960年からの一覧表示” への2件のフィードバック

  1. T より:

    1981年のワールドカップの開催国は日本です。優勝は中国ですが。

    • 小松 毅鑑 より:

      T様、当方の記事の間違いを、ご指摘いただきありがとうございます。

      Wiki情報でも、ご指摘の通りでしたので直ちに修正させて

      頂きました。

      また何かお気づきの点がございましたら、コメントを

      頂ければと思います。

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