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1923年9月1日の午前11時58分44秒に発生した「 関東大震災 」は、あまりに有名だが実は、被害の名称であって地震の本当の名前は「 関東地震 」が正しい呼び名である。
【 本稿の記事ページの目次 】
関東大震災こと関東地震は、相模トラフのプレートの境界で発生していることから、「 相模トラフ巨大地震 」とも称される。
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2019年1月3日に起きた熊本県和泉町の地震では、気象庁が正確な震源地の座標を発表したので即座に特定が可能だったが、大正12年に起きた関東大震災は震源地が特定されていないのが真相である。↓
要するに「 関東大震災の震源域はここ 」だという明確な経度や緯度が1ヶ所に特定されていない。
プレート境界型地震である関東地震( 大震災 )は、犠牲者が10万人以上にも上ったが、複数ある震源地を次章から、Googleマップで画像表示して行く。
関東大震災の地震の規模はマグニチュード7.9が定説だが海外ではM8以上との報告もある。
さて、関東大震災を巻き起こした関東地震の震源地を提唱されている研究者は11人で、おおまかには以下の4ヶ所を特定している。
なお、上記の東大理学博士の金森博雄氏【 82 】と、宮村摂三 東大地震研究所教授の両名が提唱する関東地震の震源地の座標は、北緯35.4度・東経139.2度( ±15km )で、全く同じ場所となる。
また、同じ米カルフォルニア工科大学で研究をしていたベノー・グーテンベルグ氏とチャールズ・リヒター氏も、全く同じ座標を震源地として提唱しているので、合計10ヶ所だ。
上に貼らせていただいた関東大震災の震源地の画像では「 Ka 」表示の×印だ。
次章からは、「 地震の神様 」とまで讃えられた今村明恒氏が提唱する、関東大震災の震源地の場所を筆頭に10ヶ所の関東地震の震源地の地図を表示させていく所存。
地震学者の故・今村明恒 東京帝国大学助教授【 享年77 】は、地震の神様として称賛されているが、最初は叩かれまくっていたようである。
世情を動揺させる浮説として攻撃され、「 ホラ吹きの今村 」と中傷された。
しかし1923年に関東地震( 関東大震災 )が発生し、明恒の警告が現実のものとなった。
その後、関東大震災の地震を予知した研究者として「 地震の神様 」と讃えられるようになった。
上記引用の展開などは世論の典型的な例だとは思やすめども、結果的には今村明恒氏が1905年に雑誌「 太陽 」に寄稿した通りに、関東大震災が発生してしまったのである。
今村明恒氏が提唱された関東大震災こと関東地震の震源地の座標は、北緯が34度58.6分東経が139度21.8分となっていて、Google地図で示すと、以下のマップ画像の場所になる。↓
なお、Google地図で表記する際は10進法に変換が必要なので、緯度が34.976667°、経度が39.363333°となる。
今村博士は相模湾の中央部が震源地となる説を提唱されたが、いずれにしても相模トラフ付近が震源地となっているのは、次章以降の10ヶ所の位置すべてに共通する様に思う。
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イギリスの天文学者でもある、ハーバートターナー氏【 享年69 】が提唱された関東大震災の震源地は今村明恒博士が唱えた場所と極めて近い。↓
神奈川県沖の相模湾が関東地震の発生場所で、今村博士の震源地よりは、西側に千葉県の房総半島よりに位置している。
正直に申し上げて、誰が唱えている震源地が正しい関東大震災の発生場所かは分からないが相模トラフプレートが原因となっている、プレート境界型地震である事は一致している。
地震学者で東京大学名誉教授だった宇津徳治氏【 享年75 】が提唱する関東大震災の震源地だ。↓
座標は北緯35.1°、東経139.5°で前章のハーバート・ターナー氏が提唱する震源地から北よりの場所に定めている。
しつこい様で大変、恐縮だが関東大震災のいずれの震源地も「 相模トラフのプレートの上 」で発生している事だけは一致している。↓
大正から昭和期の地震学者で、東京大学名誉教授の松沢武雄氏【 享年89 】は、関東大震災が、相模湾の北部で起きたと提唱されている。↓
関東地震の震源地が上のGoogle地図の通りの場所に有ったとするなれば当然、陸地に近くなるので沿岸部からも近距離に。
神奈川県中郡大磯町の大磯港から、わずか4.44キロ南の相模湾海上が関東大震災の震源地になる、陸地から近い距離だ。
神奈川県大磯町を東西に走る国道1号線は、2019年の箱根駅伝が行われた場所でもある。
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ベノー・グーテンベルグ氏【 享年70 】とチャールズ・リヒター氏【 享年85 】は、ともに、同じカルフォルニア工科大学で
研究を重ねた同志で、関東大震災の時の震源地も、同じ場所の座標を示している。
神奈川県藤沢市の江ノ島まで、わずか5.51キロの南の相模湾海上が震源地となっている。
ちなみに、本稿で提唱している10ヶ所の震源地はいずれも11時58分に発生した本震であり、その後、翌年の1月15日までに14回もの余震が発生している。
関東大震災を発生させた関東地震の本震の翌年、1924年に生まれた地震学者で元東大名誉教授の宇佐美龍夫氏【 94 】も、相模湾の北部が震源域であると位置づけている研究者である。
宇佐美達夫氏が生まれた大正13年は関東地震の翌年であるが、1924年の1月15日までの余震の一覧は、以下の通りとなる。↓
9月1日
12:01 M7.2 東京湾北部
12:03 M7.3 神奈川県
12:17 M6.4 伊豆大島近海
12:23 M6.5 相模湾
12:40 M6.5 相模湾
12:47 M6.8 山梨県中・西部
13:31 M6.1 静岡県東部
14:22 M6.6 静岡県伊豆地方
15:19 M6.3 茨城県沖
16:37 M6.6 静岡県東部
9月2日
11:46 M7.3 千葉県南東沖
18:26 M6.9 千葉県東方沖
22:09 M6.5 静岡県伊豆地方
大正13年( 1924年 )1月15日 05:50 M7.3
上記に引用させて頂いた関東大震災の余震の発生場所を含め、地図にまとめたものが以下の動画コンテンツとなる。↓
本章以降の関東地震の震源地の地図は、いずれも発生場所が相模湾の海上ではなく、内陸部となる。
埼玉県熊谷測候所長を勤められた、平野烈介氏の唱える震源地の地図画像だ。↓
関東大震災の震源地が内陸部で有るとする説の中でも唯一、山梨県の河口湖の東の場所を指定しているのは、平野烈介氏ひとりだけだ。
高速道路の中央自動車道からの距離も、わずか219メートル北側の場所が震源地となっている地図である。
本章から、関東大震災の震源地が内陸部で神奈川県の西部であるという説の地図を示す。
宮村摂三 東大地震研究所教授と、地震学者の金森博雄カリフォルニア工科大学名誉教授【 82 】の両名が提唱する関東大震災の発生場所の地図は以下のGoogleマップだ。↓
仙台管区気象台の浜田信生氏も関東地震の震源地の地図は神奈川県の西部であるとした。↓
浜田信夫氏が提唱する震源地は完全に畑薙山の中になるが、分かりやすい様に敢えて、Googleアースで表示している。
浜田氏は、鹿島小堀研究室の武村雅之氏と共に
「 近地観測点における1923年:関東地震によるP波波形の特徴 」というPDFファイルをWEB上に公開されている。
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さて、関東大震災の震源地で10ヶ所目となる場所の地図は、国立天文台が編纂している。↓
国立天文台が編纂している関東地震の震源地の場所の住所は、神奈川県足柄上郡開成町。
なんと住宅街のど真ん中にある畑が震源地になっている。
以上が、関東大震災の原因となった関東地震の震源地の場所のGoogle地図10ヶ所である。
ところで、首都直下型地震でもある関東大震災は犠牲者10万5千人中、90%の人々が東京の4割以上が焼失した火災が原因で亡くなったと言われている。
震災当時、殆どの人々が広場という広場に避難したが、その中の一つが東京都墨田区本所1丁目の陸軍用地「 本所被服廠跡地 」( ほんじょひふくしょうあとち )であった。↓
現在はライオン本社ビルが建っているが、前は陸軍用地だった上の地図の広場に避難した約4万人中、3万8,000人が「 火災旋風 」に巻き込まれて亡くなった。
上昇する熱気流に周囲の空気が流れ込み炎の竜巻が発生する現象が火災旋風だ。
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関東大震災の震源地は1ヶ所に特定できないが火災は、同時刻に多くの場所で発生している。
地震発生後、1~2時間後に避難を始めていれば下町の大半の人達は助かったはずで、5時間後に避難したのでは遅いと言われてはいる。
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大正時代の当時は、2019年の今に比べて木造家屋が多かったせいもあるが、やはり広場に集まって周囲の火災が鎮火するのを待つよりも、もっと遠くへ逃げていれば犠牲者の数は少なかったのかも知れない。
さて…「 関東大震災 震源地 地図 」で検索を掛けても、ダイレクトに記事を投稿しているブログが1つも無いので、本稿にて作成した次第である。
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